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連れ立って歩く 其の三 鮫と虚貝編 ー干柿鬼鮫ー

第20章 杏可也、そして牡蠣殻。


「…草の長殿をお助けするには間に合わなかったようですね」

伊草の泣き声に耳を澄ましながら牡蠣殻がポツリと呟いた。

間に合う訳がない。そうならないだけの量を計って呑ませたのだから。

「拝謁する機会もなくお顔すら存じあげませんが、本意ない事です」

「悔悟の念は誰しも同じ。殿は最早戻りません。今は淑妃を生かすのが先決、悔むのはその後の事」

背筋を伸ばして告げた杏可也を、牡蠣殻がじっと身詰めた。

いつの間にか、牡蠣殻の斜め後ろに干柿鬼鮫が立っていた。心持ち体を横向きに、目だけは正面の杏可也を見据えている。

海士仁が器具の支度をするカタカタいう音と、芙蓉の忙しない息遣いだけが室を静かに掻き乱す。

「私は」

不意に牡蠣殻がにこっと笑った。
牡蠣殻の見慣れない人懐こい笑顔に、杏可也は内心たじろぐ。

「私は貴女を何とお呼びしたら良いのでしょう」

鬼鮫が眉を上げて牡蠣殻を見下ろす。
意外の表情だ。
だとすれば、螺鈿の本名を牡蠣殻に告げたのは大蛇丸か。

杏可也は艶やかに笑い返して見せた。

「何とでも好きなように」

それを受けた牡蠣殻が笑み含んだまま頷く。

「では失礼ながら今までと変わりなく呼ばわらせて頂きます。杏可也さん」

「そうですね。その方が私としては嬉しくてよ?殊に親しい相手にはそう呼んで貰った方がしっくり来ます」

「お母上のお名前を継ぐのは本意ではない?」

欠けた歯を覗かせて牡蠣殻は尚笑顔のまま。

鬼鮫が眉をひそめて牡蠣殻を凝視している。

あらまあ、そんな顔をして…。本当に男は他愛もない生き物ねえ…。見たいものだけ見て全て知った気になりたがるから、そうも意外になるのでしょう?馬鹿らしい。

杏可也にはもう鬼鮫の反応を面白がる余裕が生まれていた。

遅かれ早かれ知れる事。

そして、遅かれ早かれ忘れる事。

否、忘れさせる。逃げ巧者たる牡蠣殻の器は空にしなければならない。

牡蠣殻を改めて見やる。
本心可愛く思って来た。
掴み所のない女だが、そんなところも含めて牡蠣殻が気に入っていた。それは杏可也にも当たる性癖だから。
弟の思い人で逃げ巧者。可愛がるに足る理由もあった。

こんな事になるなんて思いもしなかった。

深水に抱いたのと同じ感慨。

不吉な事。死なせるつもりはないけれど…

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