第20章 杏可也、そして牡蠣殻。
考える程に面白くなる。
最早遺骸と成り果てた為蛍が横たわる寝台の天蓋をちらりと見やり、杏可也はふふっと我知らず忍び笑った。
可愛い男だった。鷹揚で尊大、従う者への緩急のつけ方が上手く、女と身内に甘い。伊草と芙蓉、そして螺鈿がいい例だ。杏可也からみれば愚かしい寛大さが螺鈿を肥え太らせた。
伊草は何処にいる?慌てて牡蠣殻を探しに出たらしいけれど残念、牡蠣殻はもう草にいない。彼に牡蠣殻の血の話をした意味はなくなってしまった。
伊草自身が芙蓉に恩を売って王位を継ぐ形を描いていたのだけれど。
継承権を持つ息子と綿々と続く家柄に基づいた人脈、油断ならないが手綱さえ引き締めていれば、まだまだ甘い汁を滴らせる芙蓉とは飽くまで良き友でありたい。
例え毒に侵されてその容色や身体が損なわれようとも、杏可也にとって食いでのあるものである限り、彼女は螺鈿の大切な友。
草の人間は実際的だ。より確実に強いものに靡いて悪びれない。
しっかり目を開いて足元を確かに歩みさえすれば、芙蓉の人脈は螺鈿の人脈になる。
その基盤が揺るぎ無く固まるまで、芙蓉には螺鈿へ極力疑念を抱いて欲しくない。
そもそも芙蓉は幼く我が儘で無邪気な子供のような女だ。
最良の聞き手、甘やかしの妙手、誰より芙蓉を優先しているように思わせてくれる母の如き最愛の友に疑念を抱かせるような真似をするのは酷ではないか?
さて、どこからどうしてくれよう。
また口元に笑みが浮かぶ。
これは磯が安寧な里になる為の一歩。皆へ故郷を与える事が出来る。根無し草のように漂い続ける暮らしは終わるのだ。
次は木の葉。あの里を呑む事は容易ではないし、その気もない。だが内部に揺さぶりをかけて食い込む事にはやぶさかで無い。
磯人を奪ったあの里もただでおくものか。奪われた以上を奪ってみせる。
とは言え、木の葉には栄えていて貰わねば困る。
欲はかかず、ひたすら静かに顕れる事もなく、食い込んだ後は息を潜めて蚤のように血を啜る。取り付いた犬には肥え太っていて貰わねば困る。
ああ、愉しい。堪らなく。
深水を喪った悲しみ、海士仁と共に戻った自由。
庇護を失くして、代わりに伸びやかな羽根を得た心地。
一平の為にも、杏可也は揺るぐ事は出来ない。それが深水への手向けにもなろう。