第20章 杏可也、そして牡蠣殻。
「私が暁に戻るときはあなたも連れて行きます。生きていようと死んでいようと」
「また物騒な···」
「生きて逃がすくらいなら殺して連れて行きます。私が本気で言っている事くらい、そろそろわかってもいいと思いますがね」
言われて牡蠣殻は痛い顔で首元を擦った。
その牡蠣殻を見下ろして鬼鮫が口角を上げる。
「わかったら諦めて私を伴う事です」
「伴う?」
「目放しなりませんからね、あなたは」
「転げ回るだけ恥ずかしい真似をしてわかって頂けた筈の私の行き場のない憤りは何処へ行けばいいんですか、一体」
「どん詰まりでのたうち回らせてればいいんですよ。さあ、どうするんです?あなた、死にかけてる人に何か出来るんですか?」
敢えて言った。
牡蠣殻は自分の血のもうひとつの効用を知らないと言った深水の言葉を裏付ける為に。
鬼鮫を真っ直ぐに見て牡蠣殻は笑った。
「多分出来ますよ。四月ばかり不自由を余儀なくされますが、死ぬよりはずっといいでしょう」
鬼鮫の眉が上がる。
「誰に聞きました?」
「海士仁に。私のこの血の救いある一面を見付けてくれたのは彼ですから。貴方は差し詰め先生に聞いたのでしょう。先生は貴方を気に入っていました」
牡蠣殻は可笑しいような、悲しいような顔をした。
「海士仁は芯から良い医師になる筈の門弟でした。何事もなければ見事その道を全うして多くの人の救いになったでしょう」
呟くように独り言ちて口を引き結び、先程とは違う場所が痛んだようにしかめ面で笑う。
「過ぎた事は変えようがありませんが、生きていれば先を拓く事が出来る。何が良い事なのか悪い事なのか結果が出るまで誰にもわかりません。目に見える善悪は毀誉褒貶に依って形を変え、容易に表裏を反す取り留めなく頼りないものです。ならばただ己が正道に悖らず進むしかありません。それがどのようなものだろうとそうする他ないのですから」
牡蠣殻は扁桃型の黒い目で静かに鬼鮫を見上げた。
「人は変わる。その気持ちも。だからこそ、そのときそのときにしがみついて必死で生きるのです。後悔しようが転げ回ろうが···その···正直に」
目を落として心持ち俯いた牡蠣殻の耳が赤い。暁で交わしたやり取りを本格的に思い出したものか、どうやらこれは恥じらっているように見える。いや、内心転げ回っているのか。どん詰まりで。