第12章 牡蠣殻はやっと眠たい
「そのときあなたの側に磯辺がいる事は断じてないでしょうよ。そもそも私を手にかけてそう簡単に草を出れるとお思い?」
明らかな自信を匂わせた杏可也が、その嫋やかな顔に似合わない不敵な笑みを口元に刻む。
「呑むために懐に食い込んでいる草でそうも大層な身の上とは返すがえすも大したものですが」
鬼鮫は興味深そうに杏可也を見やった。
「それは身軽な者のする事でしょう。荒浜と子はどうする気です?師殺しに手を染めたあの馬鹿者と、深水さんの子は?」
「為蛍は全て承知で私を欲しているのです。阿修理の事も深水の事も、海士仁と子の事も」
「成る程。ただあなたの企みだけを知らずにいるという訳ですか。そこが一番肝要なところじゃないですか?・・・その為蛍とかいう男、話を聞くと女好きなボンクラのように思われますが、さぞや立派な君主なのでしょうねえ」
鬼鮫はまた窓表を見て、フッと笑って杏可也に目を戻した。
「いずれにしても私には関係のない話ですが、あの人を泣かせるような事は控えて頂きたいですねえ。あの人、脈絡なくすぐ泣きますからね。鬱陶しくて堪らない」
「泣く?怒るのではなく?磯辺が知ったらどうするでしょうね・・・あなたが私を抱いてもいいなんて言ったと聞いたら?」
「さあねえ。あの人はごっそり欠落している部分がありますから。存外ケロッとしているかも知れませんよ」
「愛されている自信がない?」
「おやおや、これはまた随分と安っぽい事を仰る。フ。成る程痒いとはこういう感じなのでしょうねえ。まあ、愛なんてそんなモノはありませんよ、この世の何処にも」
「そう?ならあなたと磯辺には何があるの?」
「さあ」
鬼鮫は興味の失せた様子で手を外套の袖に潜らせ、また表を見る。
「何があるかないかなんてどうだっていいんですよ。私はただ生死を含めたあの人の全てを握っていたいだけです」
「あらまあ、驚いたわ。本気なの?」
「はあ?何だと思っていたんです?それでなくて何で他人に振り回されなければならないんですか。私はそこまでお人好しでも暇人でもない」
「なら何故磯辺とはない関わりを私とは持ってもいいと言うの?不思議ねえ・・・」
「女を抱くなど造作もない事です。私も男ですからね。あなたそれでいて男女の関わりに随分と感傷的な意見をお持ちのようだ。意外ですね」