第12章 牡蠣殻はやっと眠たい
「惚けなくとも結構。為螢の第二夫人へ彼女を引き合わせたでしょう?珍し物好きな夫人が彼女を欲しがる事を承知で」
後宮の園生で牡蠣殻を突いて戯れていた豊満な女を思い出す。恐らくはあれが海士仁の言っていた第二夫人だろう。
「確かに芙蓉は珍し物好きね。磯辺を後宮の守りにしようと言い出したのも彼女ですし」
杏可也は淡々と言って鬼鮫を見返した。鬼鮫は何か言いかけたが思い直したように口を閉ざした。
寸の間鬼鮫の言葉を待つ様子だった杏可也が嘲笑の含みを以て続ける。
「でも草に彼女を寄越したのは音の蛇よ?私は関係ない」
「あの人が大蛇丸の元へ下る前の話です。後宮で見かけたときには既に二人は親しい様子だった。あの慇懃無礼で人の顔を覚える事も覚束ない女が初見の相手に馴染むとは思えない」
「だから何だと言うんです?また小面憎く知った顔を・・・」
「草と磯を秤にかけて何をするつもりかは知らないが、あの人を巻き込むのは頂けませんねえ」
草に深入りすれば牡蠣殻は退っ引きならない身の上に落ち込む。あの血の事を知られれば草から引き出す事も困難になるだろう。草は閉じた里、そして牡蠣殻は今何処の何者でもない。
「あの人の血について話さなかった事だけは褒めて差し上げますよ。限度は弁えているようだ」
「そんな事をしたら磯辺は草の深奥に隠されて手も足も出なくなってしまう。それは私の本意ではありません」
柔らかな衣を優雅に捌いて杏可也は椅子に腰掛けた。
「磯辺は波平の元へ戻します。草にくれてやるつもりはない」
「今のあの人を浮輪さんは喜びますかねえ?」
「喜ぶでしょう。ただ磯辺でさえあれば、波平は全て受け入れます。波平は彼女を生涯一人の女と思い定めている」
「何でそう浮輪さんはあの人に入れ込むんです?気が知れない」
真顔で言う鬼鮫に杏可也は妙な顔をして、それからうっすらと微笑した。
「忌血を背負った寄る辺ない哀れな筒井筒、彼女を理解出来るのも守る事が出来るのも自分だけ。恋の言い訳には十分な理由でしょう」
杏可也はするりと答えてお茶に口をつけた。
「優しいあのコらしい事」
口角をキュッと上げて鬼鮫を横目で見る。
「害意で人を縛ろうとする外道とは大違い」
「その私に自分を売ろうとしたあなたは何なんでしょうねえ?差詰め売女かアバズレといったところですか」