第12章 牡蠣殻はやっと眠たい
伊草は確かに草の重鎮であるらしい。
頼んだ事が見当違いに叶えられたとしても無理が通ったのに違いはない。
鬼鮫は閉口して目の前の女を見た。
確かに磯に所縁の女に会わせろと言った。言葉足らずだったのは否めない。とは言え、何の疑問を差し挟む事なくこの女が現れたのは、牡蠣殻の素性が知れていないという事か。
巧者の存在を知らない?草が?
いや、有り得なくもないか。
磯は隠れ小里、鬼鮫自身牡蠣殻と会わねば巧者の事など知る由もなかった。没交渉で互いはないものとしている草と磯、まして気位高く豊かに暮らす草は磯など一顧だにしないだろう。
「珍しいお顔だわ。まさかあなたが私を思し召しとは驚いた」
深水と並び立っていたときには痩けていた頬が、円く優しい曲線を描いて笑みを刻む。
「昨日はご足労様。わざわざ後宮まで足を運んで挨拶なされようとするなんて義理堅い事。最も磯辺には有り難迷惑だったようだけれど?」
相変わらず嫋やかで穏やかな声。
杏可也は夜空に浮かぶ眩しい切り込みのような三日月の目で笑いながら、鬼鮫に座るよう促した。
鬼鮫は腕を組んだまま動かない。
「私はもう一人の磯の女に会いたかったのですがね。どうも行き違いがあったようだ。それともあの人はそんなに悪いんですか。手加減した覚えはないが、死ぬほどの事はない筈。その前にあの師殺しが現れましたからね。彼が手当てに連れ去ったのだから間違いないと思いましたがねえ?あなたの連れ合いはろくでも無い上にヤブですか」
杏可也は更に目を細めて首を傾げた。
「あなたは磯辺を殺す気だったのでしょう?」
「あなたに関係ありますかね?」
「あら、ないと思って?そんな訳ないでしょう?磯辺は深水の愛弟子なんですもの」
「深水さんは死んだし、あなたはよりによって深水さんを殺した男と逃げましたね。声高に関わりを主張出来る立場でもないように思えますがねえ」
「そう?」
杏可也はにっこりして鬼鮫を正面から見やる。
「私は深水の子を産んだわ。深水の子の母親を磯辺が拒絶出来る訳ありません。雛の刷り込みのように童女の頃から命の恩人と思い定めた深水を慕ってきた彼女が、深水の忘れ形見を蔑ろにするかしら?そう思うなら、あなたは驚く程磯辺を解っていない事になる」
「・・・深水さんのお子をねえ・・・」