第10章 事象の地平線を歩く猫(轟焦凍)
その日、僕は帰り際のさんを引き留めた。こんなこと初めてだったけど、いても立ってもいられなかったんだ。
そして誰もいなくなった教室で、問い掛けた。
「さん、さんの"個性"ってホントは猫じゃないよね」
「さぁ、どうかな?」
さんは軽い力で跳ね上がって、教卓の上に音も無く着地した。
"いる"のに"いない"。観測者によって相反する2つの事柄が同時に成立する。
思い当たるのは1つしかない。
「……シュレディンガーの、猫」
僕は量子物理学において有名な思考実験の名を口にした。
「なんだ、わかってるんじゃん。流石の知識と洞察力だね、緑谷くん」
教卓の上にあぐらをかいた彼女は笑ってるようにも、泣いているようにも見えた。
心がズキズキと痛むのを感じていた。
僕の予想が当たっているとすれば、これはとても悲しいお話だ。
「もし違ってたら、違うって言って欲しいんだけど……さんと轟くんは知り合いで、轟くんは……轟くんはさんのことを……」
僕が躊躇った言葉は彼女の唇からこぼれ落ちて、虚しく響いた。
「そうだよ。"存在しない"と、思い込んでる」