第8章 空白の時間
「まあなんにせよ、君の一つ目のお願いがまだ完了していないだろう。記憶をどうにかしたいんじゃなかったのか」
『あ…、……あー、はは…何か緊張しますね、自分の事なのに』
頭に置こうとする手が少し震える。
本当に?本当に大丈夫?
実際に会って、最近の記憶を思い出して、あの人が大好きな人だってわかった。
優しい人だって、愛しい人だって。
でも、私が思っているような日々の記憶が無かったら…二人で笑い合っているような、そんな記憶じゃなかったら。
そう考えるとあと一歩の勇気が、出なくなる。
「…大丈夫だ、少なくとも四年と少し前に俺達が偵察をしている時も、本当に幸せそうだった」
フランシスさんの言葉にハッとして、喫茶店のオーナー夫婦にも同じ事を言われたのを思い出した。
『そ、ですか……じゃあ、ちょっと暫くは情報の整理に時間がかかるかもですけど、やってみますね』
手の震えはもう止まっている。
あとは…恐らくいきなり大量に流れ込んでくるであろう情報量に、なんとか気を失わないように耐えるのみ。
フランシスさんには少しだけ離れてもらってから、今度こそ両手を頭に当てて、どこかに存在しているはずの記憶と、その時の感覚を覚えているはずの白石蝶の身体に意識を集中する。
目に見えないものを操る…空気や物質ならともかく、記憶だなんてもの、操るにはやはりそれなりの気力が必要だ。
覚悟を決めて記憶を流し始め、一番最初に見えたのは実験施設の水槽が破られた光景。
わけも分からず、敵の襲撃かと思ったら相手はたった一人の青年で、その人は私を助けに来た人だった。
恐る恐る、誰なのかと聞けば、その人は自分の名前を名乗る。
そうだ、中也さんって、こんな風に私のところにいきなり現れた人だった。
いきなり私のところに現れていきなりいい事ばっかりしてくれて、プレゼントばっかりしてくれちゃうお節介な人。
『…ッ、ぁ……っ…』
そこから先は脳が物凄い勢いで大量の情報を取り入れ始め、そのスピードに思考が追いつかなくて頭がグルグルして痛み始める。
痛さや気持ちの悪さに耐えるようにベッドの上で蹲って頭を抱え続けて、ようやっと全ての記憶を自分が理解しきった時。
両目から、抑える事が出来なくなった涙が溢れて止まなくなった。
中也さん…私の、大好きな人。
『…ふふっ、なにあの人……かっこよすぎッ…』