第8章 空白の時間
『トウェインさん…私、誰かにキスされた事、あるの?……怖い、の…キス、されたり………弱い所触られるの』
「ああ、ある。だけど、少なくともこの男は君を傷付けるような奴じゃない」
「おい待てよ、手前蝶に何しやがった?こいつは治療薬を奪いに行ってる最中にはこんなんじゃなかったはずだぞ」
凄まじい殺気が放たれて、私までもが身震いする。
『ち、ッ…ちゅ、うやさ…』
「お前が蝶か!?あの蝶なのか!?蝶がなんで俺に怯えてやがる!!!」
ビクッと肩を揺らして怯んだような声を漏らして、目が合わせられなくなる。
『……ごめ、んなさい……………中原、さん』
「!!……蝶!?お前っ、なんで…」
「ちょっと、今の蝶ちゃんになんてこと言ってるんだよ!?知らないから動揺してて当然かもしれないけど、そんな言い方!!」
今のこの人の殺気は、一瞬だけだけど私に対して向けられたものだった。
私は、白石蝶じゃないの?
この人の事を覚えていないのは蝶じゃない…この人の事が好きで、この人が好きな蝶じゃない。
……馴れ馴れしく名前を呼ぶ権利なんて、無い。
『…………ッ、帰ろ、トウェインさん?戻る、から私…ダメだよ、私は白石蝶じゃなくなっちゃったの、馴れ馴れしくしちゃ、ダメなの』
言い聞かせるように声に出す。
「だからさっきから、お前はいったい何を言ってるんだ!?名前で呼べばいいじゃねえか!なんで今更苗字なんか…っ、なんで今更俺に怯えてやがんだよ!!」
『っ、ごめんなさい…ごめんなさいッ、何も、分からないの……分からない、の…!!』
分からない、?
声を漏らした中也さんと私の間に入って、トウェインさんが私を中原さんから隠すように立つ。
「原因は僕らの方にあるらしいんだ、だからそんなに蝶ちゃんに強くあたらないでやってくれ…この子は今、君と過ごした時や君の事を考えていた時の記憶を、全て忘れてしまっているんだよ」
トウェインさんが中原さんに言い放ち、返事が怖くて仕方がなくて、また中原さんから顔を逸らした。
身体が一瞬でもあたたかみを感じて、安心してしまったような人に…この人に軽蔑されるのが、酷く恐ろしい。
まだ全然この人の事を知らないのに、そうなってしまうと、私の中で私が死んでしまうような気がした。
「俺の…ッ?なんで、なんでよりによって俺なんだよ…嘘だろ、ッ?」