第7章 克服の時間
「来週、そこでピアノを弾かせていただくものよ。早入りして観光していたの」
イリーナ先生は、すぐそこにあるピアノを指さして言う。
私と全く同じ考えだった。
それでも、魅了される程に綺麗で美しい、あの人が羨ましかった。
綺麗な人への憧れは、私に常につきまとってくる。
「酔い覚ましついでにね、ピアノの調律をチェックしておきたいの…ちょっとだけ、弾かせていただいてもいいかしら?」
イリーナ先生はピアノ椅子に座る。
座り方も振る舞いも、全てがイリーナ先生の想像通りのもの。
「えっと…じゃあ、フロントに確認を」
「いいじゃない…貴方達にも聴いてほしいの。そして、審査して?」
イリーナ先生が警備の男の人の腕を掴んで気を引き、ピアノを弾く体制に入る。
「し、審査?」
「そ…私のこと、よく審査して……ダメなとこがあったら、叱ってください」
ゴク、と皆が喉を鳴らすのが聞こえた。
するとすぐにイリーナ先生はピアノを弾き始め、周囲の警備員だけでなく、皆までもを虜にする。
幻想即興曲…私も、あの人の虜にされているのだろうか。
「ね、そんな遠くで見てないで…もっと近くで確かめて?」
イリーナ先生の声に遂に警備が全員イリーナ先生の周りに集まって、完全に意識がそっちに向いた。
そしてイリーナ先生は手でこちらに合図を送る。
『!二十分……二十分です、出来るだけ早く進みましょう』
烏間先生にハンドサインを伝えて、全員が無事にロビーを通過する。
そして一階を突破して、階段を一気に駆け上がる。
皆がイリーナ先生の凄さに圧倒されて、ピアノ弾けるなんて一言も言ってなかったぞ、なんて言葉を漏らす。
「普段の彼女から甘く見ない事だ。優れた殺し屋ほど万に通じる…彼女クラスになれば、潜入暗殺に役立つ技能なら何でも身につけている」
烏間先生の声が響く。
そうだね、女の人が殺しを生業として生き抜くためには、やっぱりその武器を磨きあげるのが普通は一番なんだから。
「君等に会話術を教えているのは世界でも一、二を争うハニートラップの達人なんだ」
「ヌルフフフ、私が動けなくても全く心配ないですねぇ」
カルマ君の視線がこちらに少し向けられている気がしたけれど、それは知らないふりをした。
私の性格をよく理解していて、頭の良いカルマ君だからこそ、全てを見抜かれているようで少し怖かったから。