第10章 名前を呼んで
近くにいてこの騒動に気が付いた人達の視線が注目しているのが外套越しにも分かる。
「腕へし折るって、そ……んな、ッッ!!?」
目をゆっくりと開けて、私が最も安心出来るその人の腕を目で辿っていく。
片手だけなのに相手の両手をものともせずに力を加えて、たったそれだけで相手は痛みに抗えなくなる。
「何痴漢が善人ぶった事ほざいてやがんだ、手前…」
ギリギリとそっちの手に力が加わっていくのと一緒に、私を抱きしめる腕も少しだけ力が強まった。
この手が一番安心出来る。
この人のところなら、なんにも怖くなんてない。
安心して涙がいっぱい滲んできて、中也さんの背中に腕を回した。
すると抱きしめていた手がポンポンと数回頭を撫でて、再びグ、と私を強く抱きしめる。
「次の駅で手前は無理矢理突き出すから覚悟しとけ」
男の人からヒッ、と情けない声が聴こえて、それさえもが気持ち悪くてギュウッと中也さんに回した腕に力を入れた。
逃げられもしない満員電車の中である上、もう周囲の人にはこの人がそういう事をしたというのが知れ渡ってしまったため、男の人は最早逃げるつもりすら無い様子。
というより、完全に中也さんを恐れてもう抵抗も出来ないようだった。
中也さんは男の人から手を離して私の頭に手を乗せて、落ち着かせるように撫で続ける。
「………怖かったろ、気付くのが遅れて悪かった。ケーキ類は荷物置きに置いてあるから、出る時にでも能力使ってもらえると有難い」
中也さんの声にコク、と小さく頷いてから、声も出さずにただただ中也さんの体温を感じ取る。
あんなに人がいっぱいいたのに、私に気付いて来てくれた。
こんなに移動しにくい電車の中を、この人は助けるために、来てくれた。
今になって、中也さんの言うお前は女なんだからという言葉が頭の中を回り始める。
男の人の言う守るって、こういう事なんだ。
いくら力が強くても、どれだけ人と戦う訓練を積んでいても、いざこういう触れられ方をすると怖くて戦えなくなるものなんだ。
そして本当にこの人は、私がこういう被害に遭っても私を怒りはしないんだ。
私の事を一切責めるだなんてこと、しないんだ。
『……ッ、怒らない、の…?』
「なんで俺が蝶を怒る必要がある、どう見たって被害者だろが。寧ろ痴漢相手によくあんだけ抵抗してたよお前は」