第1章 二人の事情
「立てる?」
紫音はナイフをズボンのポケットにしまってあたしに手を差し出した。
その手を取るが、腰が抜けて立ち上がる事ができない。
「なんか、腰抜けちゃったみたい。」
こんな図体のくせに男に襲われかけたくらいで腰が抜けて立てないなんて…恥ずかしくて笑って誤魔化すと、紫音があたしの頭を撫でた。
「怖かったね。もう大丈夫だよ。」
てっきり笑われると思ったら優しい口調でそう言われて、情けないけど泣きそうになった。
本当は怖かった。
凄く凄く怖かった。
小さく頷くと、いきなり体が浮いた。
紫音はその華奢な体で、自分より背の高いあたしを抱き上げたのだ。
「ちょ、ちょっと!いいよ、自分で歩ける!!」
所謂お姫様抱っこ状態。
こんな事されるのは初めてだった。
「強がらなくていいよ。」
「いや、だって重いでしょ!?あたしの方が大きいしっ…。」
「小さくても女の子抱き上げるくらいの力はあるよ。それに七瀬、全然重くないから。」
紫音はそのまま歩き出した。
まさか人生初のお姫様抱っこを自分より小さな男にされるとは思わなかった。
「…ねぇ、どこ行くの?」
「とりあえず、俺の家。」
「こんな時間に迷惑じゃない…?」
「大丈夫だよ。両親は仕事でいないし、家には姉しかいないから。」
「紫音、お姉さんいるんだ。」
「…うん。」
そう言った紫音の顔は少し悲しげに見えた。