第1章 二人の事情
紫音の家からあたしの家までは徒歩10分程の距離だった。
「意外と近くに住んでたんだね。」
そう言うと、隣を歩く紫音があたしの手を握った。
「七瀬、大丈夫?」
「何が?」
「さっきから無理して笑ってるように見える。」
紫音の勘の鋭さに内心驚いた。
本当は、父から電話がかかってきた時から家に帰るのが怖かった。
父は、怒ると"躾"と言って手を上げるのだ。
虐待とまではいかないが、母も見てみぬフリをするだけで絶対に助けてはくれない。
今日も帰ったらきっと怒鳴られ、叩かれる。
そう思うと帰るのが怖かった。
「大丈夫だよ。」
「…そう。」
紫音はそれ以上深くは詮索してこなかった。
父の躾に関しては、この前別れた彼氏にしか話したことがなかった。
彼は否定はしなかったが、一瞬引いた顔をしたのを今でも覚えている。
だから余計に紫音には話したくなかった。
厳しい両親だと知って、距離を置かれるのが怖いから。
「紫音。」
「なに?」
「あたしも…紫音のこと好きだよ。」
本当は気付いてた。
大学祭の日から、紫音のことが好きだと。
だけど紫音も何れ離れて行くのではないかと思うと自分の気持ちに蓋をしてしまった。
長年付き合った彼氏の気持ちが簡単に変わってしまった事が、あたしを臆病にさせていたのだ。
だけど紫音は本当のあたしに気付いてくれた。
受け止めてくれた。
突然紫音が立ち止まり、あたしも立ち止まった。
「どうしたの?」
そう言った次の瞬間、紫音に抱きしめられた。
「俺は離れないよ。今は信じられないかもしれないけど、何があっても七瀬の傍にいる。」
その言葉は嬉しかったが、やはり両親の事を話すまでは心の底から信じる事はできないだろうと、どこか冷めた自分がいた。
「…ありがとう。」
紫音を好きな気持ちと、まだ全てを話せていないという気持ちが入り交じり、複雑な気持ちになった。