第29章 ・ウツイの娘 その1
「私、もう宇津井じゃないから。」
何故無視したのかと聞いてくる相手に文緒はまずはそう言った。
「名前変わった。」
嘲笑された。結婚でもしたのかと明らかに下卑た調子で言われる。
「違う。」
文緒はきっぱり言う。
「他に引き取られた。そこのお母様達と約束した。前の名前は使わないって。」
相手はへえと呟く。何て名前になったんだと聞かれたが正直この相手には言いたくないと文緒ですら思う。義兄他今の家族に迷惑がかかりそうな気がした。
「内緒。とにかくもう宇津井じゃない。」
残念ながら相手はしつこかった。いいだろ教えろと言ってくる。
「嫌。」
文緒は抑揚なく拒否した。いい加減行ってくれないかなぁと思う。今の立場も手伝って手を出すわけにも行かない。
「そろそろ離して。」
更に文緒は言ったが相手は文緒の肩を離そうとしない。
「今の家に迷惑がかかるから困る。」
相手はせせら笑った。相変わらずお嬢様で気取っているというが文緒からすれば訳がわからない。
「よくわからないけど離して。」
再び言った時、ふいに相手の顔が近くなり文緒は本能的に全身を震わせた。大変気色の悪い感覚、義兄相手ならまずありえない。他にも瀬見、五色、川西辺りに事故やノリで抱きしめられたり持ち上げられたりしているがこんな感覚になった事はなかった。天然お嬢様と呼ばれる少女は初めて強い警戒心を抱いたかもしれない。
相手は脳内で何がどうなったのか文緒の反応を気に入ってしまったらしい。一緒の学校にいた時は気づかなかったけどよく見たら可愛いと言い出す。
「信じない。」
内心で動揺するも文緒は呟く。
「地味で古臭くて大人しい癖に生意気なブスって貴方も散々言ってた。もし貴方が忘れてても私は覚えてる。」
だから今気づいたんだと相手は勝手な事を言い出した。やはりまだ文緒を離そうとしない。