第7章 レクイエム
智くんの目に光る涙に気付いた時にはもう遅かった。
細い身体を押し倒し、固く閉ざした唇をこじ開け、食い縛った歯列を舌でなぞった。
白い開襟シャツのボタンが弾け飛んだって構やしない、それ程無我夢中だった。
見開かれた瞳が、氷の如く冷たい視線を向ける、あの人を捉えていたことにも気付かずに…
「んん……はっ…だめ…だって!!」
パチンと頬に受けた衝撃と同時に、俺の身体は智くんの両腕に押し退けられた。
「ご…ごめ…」
ジンジンとした痛みを訴える頬を押さえ、呆然とする俺を他所に、智くんは自分の鞄で肌けたシャツを隠すようにしてノロノロと立ち上がった。
「お、俺、帰る…から…」
「ちょ、ごめ…待って………!!」
俺の横を、縺れる足で通り過ぎる智くんを振り返った瞬間、俺の視界に飛び込んで来たあの人の顔。
“鬼”が本当にこの世に存在するとしたら、きっとこんな姿なんだろうな、と漠然と思った。
智くんはあの人の前で歩を止めると、深く頭を下げた。
「あの…お邪魔しました…」
「君が誘ったんだね?」
何言ってんの?
「ちがっ…」
慌てて否定しようとした俺を、あの人は視線一つで制した。
「君が、翔を誘惑したんだね?」
冷たい声と言葉が、俯いたままの智くんに降り注ぐ。
「…………はい。僕が翔くんを誘惑しま…した」
頭を下げたまま、漸く絞り出した声は酷く掠れていた。