第9章 ◆はなむけの詞を君に(神田)
「……また、寝ちゃった」
片手で指を絡めて手を繋いだまま。
空いた手で、そっと神田の前髪を撫でる。
頬に触れても起きる気配はない。
静かな寝息は、近くで耳を澄ませないと聞こえない程。
「…ねぇ、」
頬を撫でる手が、静かに下る。
首筋を撫でれば、指先が引っ掛かる感覚。
そこには人にはないはずのもの。
まるで陶器か何かに罅が入ったような、そんな亀裂が刻まれていた。
「次は……いつ、起きてくれるかな…」
握った手を見つめる。
皺の増えたその手にも、同じに手首から伸びて刻まれている亀裂。
一年前は、そこに亀裂などなかった。
明らかにじわじわと大きく神田の体を蝕んでいる証拠。
それは命の残量が尽きゆくサイン。
「次も…起きてくれるかな…」
桜の花が舞い散る。
ひとつ、ふたつ。
こんなに満開の花を見事に咲かせて目を釘付けにするのに、散りゆく時は一瞬で儚い。
まるで。
(…ユウみたい)
ひとつ、ふたつ。
雪だけでなく、神田の髪にもふわりと舞い落ちていく花弁。
艷やかな漆黒ではない、浅紫色へと白んだ髪へと。
長い時を共に生きた。
若かりし頃にアルマとの激しい戦闘の末、大きく命を削られ、後の六幻の結晶化で酷使した体は限界だった。
イノセンスの咎落ちの予兆が何度も表れては、神田の体を蝕んでいく。
今はもうその手に六幻を握ることはない。
戦いに身を投じて血に塗れ生きることはない。
そうはさせまいと、ノアとしての道ではなく彼を守る道を選んだのだから。
人としての寿命はまだ短くとも、第二使徒としての体の限界は遙かに越えて、長く生を繋いだ。
その灯が消えるのは、もう先のことではない。
「……」
"待ってる"という言葉は、もう言わなくなった。
そう遠くない未来、彼がその灯を消す時、傍で抱きしめて見守っていられるように。
それこそこうして眠るように、安らかに逝けるように。
共に死を選ぶ道は考えていない。
そんなことをしても神田は喜ばないことは目に見えてわかっていた。
雪自身も、それが救いだとは思っていない。
だからといって、昔に死が両親を呆気無く攫っていった時のように。
心が押し潰されるような悲しみに、耐えられるかはわからないけれど。