第8章 ◆Tresor(神田/マリ×ミランダ)
耳を潜めれば呼吸音だって聞こえてきそうな距離に、意識しなくとも鼓動が速くなるのがわかる。
そんな自身の体の反応に、神田は微かに眉を潜めた。
コートの襟首をしっかりと握ってきている、すぐ目の前にいる彼女にうるさい鼓動が聞こえやしないかと不安を感じて。
しかし。
「あれって…やっぱり…」
「……」
そっと目線だけで伺った目の前の雪は神田など見ておらず、建物の隙間からじぃっと目を凝らして行き交う人々を見ていた。
熱心に別の何かに意識を囚われている雪は、神田を気にしている様子は一切ない。
その態度に内心むっときて、気付けばそっぽを向く目の前の柔らかそうな頬に手を伸ばしていた。
「おい」
「っいだだっ…!? な、何ひゅんのっ」
「それはこっちの台詞だ。なんだいきなり路地裏なんかに引っ張り込んで。理由を説明しやがれ」
むにーっと強く頬を引っ張れば、やっと雪の目が神田へと向く。
痛みで若干涙目になりながら、降参とばかりに雪はバシバシと神田の肩を叩いた。
「い、言うっ言うから…ッあれ!」
「?」
(あれ?)
必死に人混みを指差す雪の指先を、頬を抓る手を緩めながら目線で追う。
黒曜石のような真っ黒な神田の目に映ったのは、行き交う人々の中で抜きん出て高い大柄な背丈だった。
「……マリ?」
それは随分と馴染みのある顔で、距離は多少あるもののすぐにピンときた。
同じティエドール部隊に属している、エクソシスト仲間である彼だと。