第8章 ◆Tresor(神田/マリ×ミランダ)
美味しい料理を食べられるなら、と素直に雪に従ったが、女性に扮してまで食べたいなどとは思っていない。
寧ろ何が悲しくて、性別を偽ってまで外食しなければならないのか。
口を塞がれたまま更に視線の鋭くなる神田に、雪は逃げるように視線を逸らしつつぱっと手を離した。
「ご、ごめんってば。でもどうしても来たかったの、ここ。レディースコースならスイーツが食べ放題になるし…っ」
「なんだその思考。女みたいなこと言いやがって」
「いや私女だから。そのツッコミ自体おかしいからっ」
心底納得はいかない。
しかし気まずそうに視線を逸らしながら、それでも雪が口にしたのは自分の意見。
自己主張なんてあまりしてこない彼女だったからこそ、思いっきり眉間に皺を寄せたままだが神田は渋々席に着いた。
「…甘いもん好きだったのか、お前」
「まぁ…普通に。スイーツ、美味しいよね?」
「……」
「神田は…甘いの苦手だったね、そういえば…ご、ごめん」
おずおずと続いて向かいに座る雪に、コートを脱いで椅子の背凭れにかけながら神田は小さく溜息をついた。
「…俺は食わねぇが、月城が食いたきゃ食えばいい。その為に来たんだ」
「え?」
「だから、お前が欲しいもん聞いたら──」
"俺だって言っただろ"
そう言いかけて、神田は口を閉じた。
高熱の出ていた雪は、あの一連の出来事を夢だと勘違いしていた。
現実にあった出来事だとは気付いていない。
「欲しいもん?」
「…なんでもねぇ」
「?」
不思議そうに首を傾げる雪に、それ以上話す気はないと意思表示に目の前のメニュー表を立てる。
実はあれは夢ではなくて、現実にあったことだと今更教えるのは、なんだか負けた気がして悔しい。
夢の中ではなく現実だと悟った上で、自ら来て欲しい。
自分を欲して、それを言葉にして欲しい。
その欲は神田の心の奥底でじりじりと焦げ付いて、簡単には剥がれそうにない。
(誰が親切で教えてやるかよ)
彼女の本音は知れたのだ。
後は自らその足でこちらへ踏み出してくるまで、神田は待つつもりだった。
自ら求めて欲しいから。
自分が、そうして求めているように。