第6章 7月下旬
「ねえ…………だけど」
頭の中に響く不明瞭なテノール。
「………機、使いたいんだけど」
ビクッと身体が跳ねて、ぼんやりと頭が働き始める。
目の前に烏野の背の高い、メガネの人がいる。
「聞いてる?」
「…あ、ごっ、ごめんなさい」
その人は呆れた様子で大きく溜め息をついて、「洗濯機使いたいんだけど、どうすればいいんデスか」とわざとらしくゆっくり言った。無表情で少し怖いと思った。
(……洗濯機? あ、終わってる!)
そこで私は洗濯機が仕事を終え動きを止めていることにようやく気がついて。
慌てて立ち上がったその時、膝に抱えていた洗剤の箱がひっくり返って、辺りの地面が白く染まる。
「ひゃ!……ああ、ごめんなさいっ…」
もちろん私と烏野の人のスニーカーも洗剤まみれ。
どうしよ、どうしよ…怒られる。
「……最悪」
顔をしかめて、靴に掛かった粉を振り払うメガネの人。
行き場を彷徨った手をゆっくり下ろし、ハーフパンツの太ももの辺りをぎゅっと握った。
視線も自然と下へ向く。
ほのかにフローラルのいい匂いがする粉末洗剤だった。
でも地面にこぼれたそれは、さっきまでとは別の、何か別の汚いモノへと変わってしまったみたいに思えた。
そして、そうしたのは私。
「……ごめ、んな…さい」
手が震えて、声色に涙が滲む。
「何なの?君ゴメンナサイしか言えないの?洗剤掛けられたの僕だよね。なんで君が泣いてんの?泣けばなんでも許されるとか思ってたりする?」
「…ちっ、ちが、う……そ、そんなこと…」
そんなこと無い。私の紡ぐ精一杯の反論は、彼の目を見た瞬間、無理矢理堰き止められた様に喉の奥に押し込まれた。
嘲り笑う、その瞳に温度は無かった。
「その喋り方…」
眼鏡の奥…熱を持たない、冷たい、目。
……怖い、目。
「イライラするんだけど。普通に喋ってよ」
洗剤がこぼれる瞬間がフラッシュバックして、頭の中まで真っ白になっていくみたいだった。
怖い…助けて…
「…ねぇ、聞いてんの?」
助けて…もう嫌だ…助けて…
助けて…誰か…
苦しい…息が、できない。
助けて…
たす、けて……誰か……