第40章 落ち武者は薄の穂にも怖ず
生首が浮いている。
そんな表現がふさわしい光景だった。
「…あ、あかーし、あれ見えてるか」
「……はい。見えます」
木兎と違って赤葦は裸眼の視力は低い。
けれど眼鏡のおかげで今は両目とも1.0はある。
いくら暗いといっても、歩き回っているうちに暗闇にも慣れた。
だから何かと見間違うなんてことはないはずだ。
確かにトイレの前に、生首が浮いている。
「木兎さんが見た落ち武者って、首だけですか」
一昨日からうるさく落ち武者落ち武者と口にはしていたが。
どんな格好をしているかだとか、足は見えたのかだとか、具体的な内容は聞いていなかった。
木兎は赤葦の問いかけに、震えるように頷いた。
「じゃあ、アレが……」
木兎さんの見たという、落ち武者。
赤葦が心の中で呟いた時、まるでその呟きを聞いていたかのように、落ち武者の頭がゆっくりと動いた。
少しずつ見えてくる肌色に、赤葦と木兎は、落ち武者がこちらを見ようと顔の向きを変えていることに気付いた。
2人の脳内で、大きな警告音が聞こえる。
目を合わすな。見てはいけない。
警告は確かにそう2人に命じているのに、2人とも目をそらせなかった。
怖いもの見たさの興味が勝ったのか、あるいは落ち武者の霊の力なのか。
ゆっくりと動いた頭はやがてハッキリと2つの目を木兎達に見せた。
大きく見開かれた目に、木兎達の口から思わず小さな悲鳴が上がった。
「ひぃっ」
ところが、悲鳴は木兎達のものだけでは無かった。
明らかに木兎と赤葦以外の悲鳴が聞こえたのだ。
目をこらせば、何故か落ち武者は怯えた顔でこちらを見ている。
幽霊が、怯えるなんてことあるのだろうか。
怯えた顔の落ち武者に、赤葦の思考が冷静さを取り戻していく。
固まったままの木兎を置いて、赤葦はゆっくりと落ち武者の方へ歩み出した。
「あかーし、近づいてダイジョウブなのか?! 呪い殺されるぞ?!」
木兎の言葉に、赤葦は振り向かずに手を振った。
その後輩の後ろ姿に、木兎は頼もしさを感じずにはいられなかった。
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
「…え? 赤葦、いまなんて?」
流れるような赤葦の言葉に、木兎はぽかんとなった。
「木兎さん、来てください」
促されて、木兎はおそるおそる赤葦の元へ近づいた。