第36章 夏合宿
「ちゃんと寝たよ? そりゃあ熟睡はしてないかもだけど」
平静を装って、嘘をつく。
すると衛輔くんの目が、私の言葉が本当かどうか確かめるように細くなった。
こういう時、女は有利だと思う。
嘘をついても、相手の目をじっと見ることが出来るから。
目に『本当だよ』の思いを込めて、衛輔君の目を見つめ返した。
「…移動で疲れもあるだろうから、無理はすんなよ? ここわりかし涼しいとこだけど、夏だからな。少しでもきついと思ったら、すぐ休めよ?」
「うん、分かってる」
「美咲ちゃんはすぐ無理するからな。本当に気をつけろよ?」
「うん」
念を押す衛輔くんに、前を歩いていた音駒の黒尾さんが笑いながら振り返った。
「ほーんと、やっくんはマネちゃんのお父さんですね~」
「あぁん? 誰がお父さんだって?!」
「おー、怖っ!あんまりしつこくしてっと、娘さんに嫌われるぞ」
「うるせー黒尾! 俺はただ幼馴染を心配してるだけだっつーの」
「そうでしたね~可愛い幼馴染が心配でたまらないんですよね」
黒尾さんの冗談に、衛輔くんは回し蹴りで応えていた。
綺麗に黒尾さんの腰に入った衛輔くんの足が、すごくいい音を立てた。
五月の合宿の時以来の光景だったけれど、ひどく懐かしいものに思えて、自然と頬が緩んでいった。
「あっ、美咲ちゃんまで! 笑うなよ」
「ふふ、ごめん。変わらないなぁって思って」
「…?」
衛輔くんが不思議そうな顔で首をかしげる。
みんなにとっては『日常』だとしても、今の私にはその『日常』の一つ一つが掛けがえのないものに思えて仕方ない。
こうやって衛輔くんと黒尾さんの掛け合いを見て笑えるのも、すごく幸せなことなのだと一人噛みしめた。
「ありがとう、衛輔くん」
「えっ? 何が?」
「…色々、心配かけてごめんね」
「謝んなくていいよ。こうやってまた会えた。それで十分なんだから」
ぽんぽん、と衛輔くんの手が私の頭に軽く触れた。
その優しい手の平の感触は、とても懐かしいものだった。
小さい頃、何かあるとすぐ泣いていた私を慰める時にはいつも、頭を撫でてくれた衛輔くん。
月日が経って、お互い大きくなっても、やっぱり衛輔くんは変わらず優しいままだ。
いつまでも『やくのおにいちゃん』に甘えてばかりいてはいけないと思うものの、温かい手の温もりをすぐには忘れられそうになかった。