第36章 夏合宿
目を覚ましてしまいそうだったから、そこで先輩の髪に触れるのはやめた。
指先に残る髪の感触を、私はずっと忘れられないと思う。
少しずつ白んでいく空に気付き、夜明けが近いことを知る。
時計を見るのが怖くて時間は定かではないけれど、もう少ししたら目的の森然高校に到着するだろう。
それまでに少しでも体を休めなければ。
そう思って、目だけでも瞑ることにした。
うとうとと、現実と夢の狭間を漂い始めた頃、急に耳元で大きな声がした。
「わっ⁈」
旭先輩の大声に体がビクッとなる。重たい瞼をなんとか持ち上げると、旭先輩がこちらを見て、真っ赤な顔で口をパクパクさせていた。
「どしたー....あさひー...」
後ろから菅原先輩の声がして、旭先輩は焦った声のままなんでもない、寝ぼけただけだと答えた。
菅原先輩も半分寝ていたのか、「そっかー」と気の抜けた返事をしてまた眠ってしまったようだった。
「ごめん、黒崎。重かったよな、ごめん」
「い、いえ。大丈夫です。気にしないでください」
「ごめん。そっち行かないよう気をつけてたつもりだったんだけど...黒崎、眠れた? もしかして俺のせいで眠れなかったんじゃないか? 」
旭先輩が心配そうな顔で、こちらを見ている。
確かに旭先輩が隣にいたことで眠れていないのだけれど、それは旭先輩のせいではなくて私の気持ちの問題だし。
旭先輩の問いに、首を振って笑みを見せた。
「大丈夫です。私も眠ってて気付かなかったし」
「そうなの? ...じゃあ逆に起こしちゃったかな。ごめんな」
「もうすぐ森然に着きそうですし。ちょうど起きる時間だったし大丈夫ですよ」
つとめて笑顔で答える。
本当は寝不足で少し頭がクラクラしていたけれど、旭先輩がそれを知ったら必要以上に気にしてしまいそうだったから、気取られないようになんでもない風を装った。
今回の合宿は、烏野にとって大きな意味のある合宿になると思う。
関東の強豪校と合同練習出来ることが、滅多にないチャンスだというのは私にも分かる。
だからこそ、旭先輩はじめ烏野のメンバーには目の前の練習のこと以外で気を煩わせたくない。
笑顔を崩さない私に少し安心したのか、旭先輩の顔も緩んで穏やかな表情になっていった。