第32章 決死の覚悟
質の良いシルクの寝間着も、肌触りの良い寝具も、現実のもの。
なのに、いまだ受け入れられなくて、こっちが悪い夢の中なんじゃないかって思ってしまう。
「……旭、先輩……」
口に出したら、最後だって自分でも分かってた。
堰を切ったように涙があふれてきて、止まらなくなった。
会いたい。ただ、それだけなのに。
一目見ることすら叶わず、夢の中で会う事さえままならない。
私はシーツに顔をうずめて、声を押し殺して泣いた。泣いているのをこの家の人に知られるのは嫌だった。
泣いたって、事態は変わらないのは分かっていたし、ここでは誰一人、私の涙を理解してくれる人間はいない。
涙を受け止めてくれるぬくもりはここにはないのだ。シーツには、涙のしみが延々と広がっていくばかりだった。
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祖母の家に来て、一ヶ月近く経とうとしていた。
この頃の私は、諦観の念を抱いているように見せるために、祖母の指示に従順になっていた。
新しい学校にも真面目に通ったし、マナーや作法のレッスンもこなした。
始めのうちは急にしおらしくなった私に、疑念を抱いていた祖母も、ようやく宮城に帰ることを諦めたのだと思う様になったようだった。
相変わらず監視の目は厳しいものだったけれど、少しずつ自由に過ごせる時間が増えていった。それは祖母なりの配慮だったのかもしれないが、これは私にとってチャンスにほかならなかった。
その自由時間を使って、私はよく料理をするようになった。普段の食事は、家政婦さんが作ってくれるので、昼食のお弁当を自分で作ることにして、日常的にキッチンに足を踏み入れるようにした。
先輩達が褒めてくれた卵焼き、合宿で好評だったから揚げ。料理をするたびに、楽しい思い出がよみがえってきた。
先輩達とお弁当を食べたインターハイ予選の頃がひどくなつかしく思える。たった、一ヶ月くらい前のことなのに……。
このまま先輩達や、烏野のみんなのことを忘れてしまうことは、私には出来ない。
烏野にいた頃の持ち物はほとんど処分されてしまっていて、自分の記憶だけが烏野のみんなと自分を繋ぐ唯一のものだった。『過去を捨てなさい』と何度も告げられたけれど、忘れる事なんて、出来るはずがない。
私は、宮城に、烏野に戻ることを諦めたわけでは無かった。