第26章 落花流水
このまま黙って車に揺られているわけにはいかない。ドアを開けようと試みるも、ロックがかかっていてドアは開かなかった。ガチャガチャと音がするだけで、開きもしないドアをなんとかこじ開けようと乱暴に揺する。
「無駄なことを。……強情で、諦めの悪いところは本当に息子そっくり……」
助手席から声がして、祖母の白い髪が見えた。
こちらを振り返ることもせずに、祖母は言葉を吐き捨てる。
「もう忘れなさい。過去の事は、全て。これから貴方は西園寺家の子として生きていくのですから」
一言だって、了承していないのに。私の人生はこの祖母に敷かれたレールの上に乗せられてしまっていた。こんな人の思い通りになんて、なりたくない。
このまま黙ってじっとしていても、事態は何も変わらない。
後先の事をじっくり考えている余裕は無かった。多分、パニックになっていたのだろう。
次の瞬間には、運転手の首をギュッと握りしめていた。一瞬、苦しそうな声が聞こえたけれど、すぐに私の手は振り払われて、逆に私が痛みに手を引っ込めてしまう結果になった。
左手の甲には、赤いひっかき傷が浮かび上がっている。指輪かカフスボタンか、運転手が身につけていたもので引っかかれたようだった。
兄を簡単に沈めてしまうような人に挑んだのが無謀だったのかもしれない。血の滲む手の甲を見つめて、歯を食いしばった。
「申し訳ありません、お怪我をさせるつもりは無かったのですが」
運転手は淡々と述べる。私に危うく殺されそうになったことなど、微塵も気にしていないようだった。全く動じていない運転手に、背筋がぞっとした。何か特別な訓練でも受けているのだろうか。こんな反応をするなんて、普通じゃない。
「無駄よ。織部は元軍人なの。……それにしても、嫌ね。あんな母親の元で育つと暴力的にしか育たないのかしら」
「いきなり人をさらうような人よりマシだと思いますけど」
「……口が達者なところは、母親譲りかしら? そのうちそんな口も聞けなくなりますよ。西園寺家の人間として、しっかり指導いたしますから覚悟なさってね」
一つ言い返せば、倍になって返ってきてしまう。
言いたいことはたくさんあったけれど、嫌味しか返ってこないことは目に見えていた。仕方なく黙って外の景色を眺める。
見知らぬ道に、私の胸は不安でいっぱいになるのだった。