第3章 急く心
そういう旭先輩の目には先ほどまでの揺らぎは見えなかった。
真っ直ぐ前だけ見据えた、スパイクを打つ時と同じ、あの目だった。
「旭先輩は十分強いと思います」
私の言葉に、旭先輩は驚いた顔をしている。
時間を共有したのはたかが数時間、そして少しだけ旭先輩の心のうちを聞かせてもらっただけの奴が何を言っているんだって言われるかもしれない。
でも、言わずにはいられなかった。
――旭先輩は、本当は強いんだと。
「私、昔から辛いことがあると逃げてばっかりなんです。逃げてばかりで、立ち向かったことなんて、ない。ましてや一度逃げ出したものにもう一度立ち向かうなんて…それは強くないとできないことだと思います」
「……まぁ、周りのやつらが必死で引き戻してくれたから…」
「でも。戻るって決めたのは、旭先輩自身でしょう?」
「……うん」
「やっぱり、先輩は強いですよ」
「……ありがとう」
ふわっと風が旭先輩と私の間を吹き抜けていった。
それとともに髪に優しい感触。
一瞬、何が起こったのか理解の追いつかない私の頭。
その頭を優しく撫でたのは旭先輩の大きな手で。
先輩の手の感触をハッキリと認識した次の瞬間には、旭先輩の手はもう元の位置に戻っていた。
「っ、ごめん、今フツーに触ってしまった!悪い!」
旭先輩自身も、頭を撫でるという行為を自然とやってしまったのだろうことがその発言と態度で分かった。
自分でやったことに驚いているようで、面白いくらいあわあわと慌てふためいている。
私は笑って、嬉しかったですよ、とだけ答えた。
それを聞いた旭先輩の赤い顔は、ずっと忘れることが出来ないだろう。
きっとまだつぼみ。
つぼみですらないかもしれない。
でもいつか満開に花開くことを願って、私は本をそっと閉じた。