第1章 朔-月のない夜-
街灯の逆光で良く見えないその顔は、ずいぶん高い位置にある。
「……大丈夫デスカ?」
いささか面倒くさそうに聞こえたその声に、私は慌てて立ち上がろうとした。
「あっ、す、すみませんっ、あり……っ、つっ……」
右足に、鈍い痛みが走る。
「……足、挫いたんですか?」
「あ、いや、大丈夫、です」
この痛みは、おそらくそう酷いものではない。
一過性のもので、暫くしたら痛みも引くだろう。
過去の経験から十分理解できる。
「その、ちょっとひねっただけだから、大丈夫です」
笑顔を取り繕って、改めて頭を下げた。
「あの、すみません、ご迷惑をおかけして……」
私がそういうと、目の前の彼はふい、と背を向けて歩き出してしまう。
「疲れてるみたいだし、バスかタクシー使った方がいいんじゃないデスカ」
それだけ言うと、引き留める間もなく歩いてしまった。
「……足、長い……」
どんどん小さくなる彼の後ろ姿を呆然と眺めてそんなことを呟いてから、盛大なため息を吐き出した。
「はあ………」
酒臭い酔っぱらいにムカつくし、手は痛いし、足は痛いし、どこの誰だか知らない人に迷惑かけちゃうし……
こんなことならまっすぐ自分ちに帰ってればよかった。
……結局、自分の選択に一番ムカついてるんだわ。
そういう結論に落ち着く。
上を見上げれば、真黒な、空。
星はキラキラと光っているのに、今日の空に月は、ない---。
「……お腹、空いたなぁ……」
薄暗い街灯の下に腕時計を晒して、目を細めて時刻を確認する。
まだ、21時30分。
深夜料金はかからない。
「……彼の助言通り、タクシー乗りますか……」
誰に言うでもなく言葉を吐きだして、私はタクシー乗り場へと、ゆっくりゆっくり、痛む足を引きずった。
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