第3章 はじめの一歩(及川・岩泉)
なんてすごい人だろう──
ヨシノは目の前の及川に、それ以外の言葉が浮かばなかった。
普段は笑顔で真意を隠しているような及川が、時々こうして感情を露わにすることがある。
そんな時に発する言葉は、彼のサーブさながら胸に突き刺さる。
ヨシノの頬にはいつの間にか、涙が伝っていた。
「なーに泣いてんの。俺が岩ちゃんに殴られるでしょ。あ、右手が使えないから頭突きかな」
クスクスと笑いながら、指先で涙を拭ってくれる。
本当に、いつから泣いていたのだろう。
自分でも気が付かなかった。
そばを通り過ぎたおじいさんの、ちょっと訝しげな目。
少し離れた場所に座っている女性二人も、こちらを見ながらひそひそと小声で話している。
「これじゃ、女の子を泣かせる悪い男の図にしか見えないよ」
困ったように眉根を寄せるくせに、“及川さんの胸で泣く?”と冗談を言うあたり、本当に真意がつかめない。
でも・・・
どんなに性格悪くても、性根は腐ってない君に、私はどうしようもなく心を動かされる。
「悔しいのと、悲しいのと、嬉しいので、涙が止まらない」
「なにそれ、複雑すぎでしょ」
「悔しいのは、はじめがもうバレーできないから・・・悲しいのは、及川とはじめのコンビがもう見れないから・・・」
「で・・・嬉しいのは?」
「嬉しいのは・・・」
岩泉への信頼を語ってくれたことが、まるで及川の大切なものを自分にも分けてくれたようで・・・
「ずいぶんと遠いところに行っちゃったような気がするけれど、及川は及川のままだってこと・・・それが、嬉しい」
岩泉がさっきの言葉を聞いたら、きっと喜ぶだろう。
意地張って“及川には会いたくない”と言っているけれど、また自信を取り戻すことができるかもしれない。
“元の岩泉”に戻すことができるのは、このヘラヘラした親友以外にいないのだから。
「及川、早くはじめの部屋に行こう」
ヨシノは立ち上がって、及川の腕を引っ張った。
しかし、及川は肩をすくめ、座ったまま動かない。
「どうしたの?」
「やっぱり俺は岩ちゃんに会わず、このまま帰るよ」
「え?」
すっかり冷めきったコーヒーを一口飲み、ヨシノを見上げてニッコリと微笑んだ。