第2章 カカオフィズ(及川・岩泉)
「お客さん、これは私からです」
「ん?」
伝票と一緒に渡されたのは、保温性のある紙コップ。
その瞬間、甘いミルクとラムの香りが立ち込めた。
及川が顔を上げると、マスターは小じわが目立つ優しい瞳を細める。
「この商売を長くしているとね・・・あそこのドアから入ってくるお客さんを見れば、その方がそれまで誰かと楽しんでいたか、それとも一人で寒空の下、長いこと時間をつぶしていたかが分かるようになるんですよ」
“バレンタインだから、女の子達からの誘いを断れなかったんだよ”
「あそこの男性に手を挙げた時のお客さんの手・・・真っ白でしたからね。寒かったでしょう」
「ふーん・・・めざといね」
「この後もどこかで朝まで時間を潰すのでしょう」
「どうしてそう言い切れる?」
すると、マスターは知性に富んだ顔に笑みを浮かべる。
「男は単純ですからね。失恋をした時はだいたい皆、同じ行動をとるものです」
「ちょっ! 何言ってんの、別に失恋なんか・・・!!」
ムキになって否定しようとしても、及川よりも長く生きているバーの主には軽く受け流されてしまう。
マスターは今しがた作ったばかりのカカオフィズのグラスを、すっと及川に差し出した。
「カクテル言葉、というものがありましてね。まあ、花言葉のようなものです」
その瞬間、及川の指がピクリと動く。
「カカオフィズは、“恋する胸の痛み”」
「・・・・・・・・・・・・」
「その顔はご存知だったのでしょうね」
“飲んでもらえなくてもいいんだよ・・・”
ヨシノを見つめながらそう言った切ない瞳を、マスターは見逃さなかった。
「ご自分は身を引く、と?」
「そんなたいそうなモンじゃないよ。ただ・・・」
肩をすくめ、諦めたような笑みを浮かべる。
「何年も自分のことしか考えず逃げ続けたヤツと、何年も一途に想い続けたヤツと、何年も自分の気持ちを隠しながら見守り続けたヤツ。この中で幸せになっていいのは誰だって思うと、答えは決まってるでしょ」
でも、痛みが無いわけじゃない。
少しでもヨシノに気づいてもらえればいいと思う。
身勝手だとは思うけれど・・・