第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
その琥珀色の瞳から遠慮無く流れる涙を、信玄は手拭いでふく
「もしかして…泣くのは初めてだったか?」
「泣く……?」
「なら、俺は貴重なものを見られたな」
眉を下げ、小さく笑う信玄のされるがままになる白粉
「あのね…喜之介が言ったの…「お前は本当の親を知らない」「あいつにだまされてるんだ」って……言い返せなかったの…「知らない」のは本当だもん…」
「湖様…」
ずずっと鼻を鳴らす音がした
髪を拭いていた手ふきをずらせば、墨汁がついていただろう部分の髪がはらりと肩に落ちていく
そこは、湖の髪色よりくすんだ色になっていた
「だけど、だますなんて…かかさまはそんな事しない。桜さまだって…私は、ちゃんと聞いているもの。私と鈴の為に、桜さまとかかさまがしてくれてること」
(髪の色が…)
「私が赤ちゃんからやり直している理由も、難しいけどわかってるつもり。二人は、優しいから、それで湖が困らないようにって。大きくなった時の記憶を預かってくれてることも」
(…湖様らしい)
くすりと小さく三成が笑う
「だまされてないんていないって、湖も鈴もちゃんと解ってる」
「はい…承知しております」
三成が答えれば、湖はようやくふふっと小さく笑った
「なのに、だめだなー。私は、すぐに泣いちゃう。湖、最近泣いてばっかり。そのうち、幸に「泣き虫」って呼ばれちゃうね」
「……優しいから泣かれるんだと思います」
「優しい?」
「ええ。湖様は、人の痛みに敏感で…優しいから泣かれるんです」
(以前と、変わらない…この方は、人の為に涙を流す)
乾いた髪に櫛を通す
スルスルと通る櫛、髪から香る香油の匂い
「白粉様の事を言われて悔しかったのでしょう」
「……」
「「泣き虫」…よろしいではありませんか…それが、貴方を作っている一部なんです」
三成が一歩下がると、代わりに女中の一人が湖の方へ進み、髪の毛を結っていく
サイドを三つ編みで編み込み、鈴飾りで覆えば…くすんだ髪色は目につかなくなった
「涙……そうか…涙だな…なかなか止まらないな、これは」
ふふっと微笑む白粉は、信玄が見た中で一番綺麗な笑みを浮かべていた