第29章 桜の咲く頃 五幕(一五歳)
床下を進み歩くと、ゴシゴシと何かを擦り付ける音が聞こえてくる。
『クソ……切れねぇ…』
聞き覚えのある声だ。
(見つけた…喜之助の声だ)
幸い建物の端に近い部分。中央にいれば、建物の中に入り距離が気がかりであったが…床下から出て間近な位置の部屋だ。
(傍に行く事は出来る…人の姿に戻れば、おそらく拘束されたものを外すことは出来るが…)
逃げ出すことができるかどうか…
喜之助の拘束を解いて、無事に逃げ出す…妖怪のままであれば可能であったが、今の白粉はただの猫になれるだけの存在。
(……こじ開けるか…)
登竜桜の封じを外すことは出来る。痛みがあるとは言われているが、そんなものはあの時の痛みに比べれば我慢は可能だと白粉は考えていた。
だが…
(本当にそれでいいのか?…もし、今後…そうだ。もし、今後…湖が同じように攫われたら?人になったわたしはどうやって湖を救う?人間になっていたとしたら…妖術は使えないんだ…)
床下から出ることも出来ず、白粉は静かに考えた。
(人は非力……わたしは、彼らのように刀を振れない。人の世情に詳しくもない。情報は……二つの武家と、この坊主が絡み湖を狙っている事はわかっているが、それだけだ。現に、この寺にいる人数すら把握できていない……)
おそらく、喜之助を逃がしたところで逃げ切れはしない。
白粉は湖を連れ出し、一度失敗しかけた。あの時、佐助が来なければ
(佐助に会わなければ、わたしは湖を殺すところだった……そうか…!!)
床下から喜之助とは別の…反対の方向に向かって進みだした白粉。
(わたしが出来ることを…今のわたしなら湖と間違わせることはできる…なら、喜之助への見張りを手薄にすることは可能だ…)
自分がそうやって目を引けば、ここまでの距離をかんがえ兼続たちもそろそろ着く筈なのだ。
騒ぎを起こせば、彼らの侵入も楽にしてやれる。
(人のわたしでも出来る方法を…)
体を汚し、真っ白な毛が目立たないようにし……光の少ない荒れた庭に出てきた白粉。
(さて、湖の鳴き方…)
考えると「なぅなぅ」と甘えている声ばかりを思い出してしまうが…
(今は場違いだな)
ふふっと、心の中で笑い…
にゃーぉ……
そう長く細い声を出した。