第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
肌についた墨は落ちたが、彼女たちを困らせたのは髪だ
稲穂色とは不釣り合いにこびりついた黒
墨は落ちたが、その部分だけが元の髪色に比べ浮いてしまう
黒く染まったわけではない、色がくすんでしまっているのだ
女中二人もどうしたものかと顔を見合わせるが、いくら流してもくすみはとれない
それは湖の視界にも入る部分で誤魔化しようもない
「湖様。大丈夫ですよ、少しずつ色は落ちていきますから…」
気休めではあるが、そうなって欲しいと願望を込めて言えば
「いいの…これは、私が悪いから…いいの…」
とそう言うのだ
髪の毛に、佐助お手製の香油をつけ乾かし
湯上がりには湖が一番気に入っている越後縮の着物と緑色の帯を
ほぼ支度が終わったところに、三成がその場に現われた
女中達から手ふきを借りると湖を椅子に座らせ、その髪を優しく拭いていく三成
何も言わない三成に、湖はようやく目を閉じ落ち着きを取り戻していった
三成は、湖がゆっくり息を吐き出すのをその耳で感じ
呼吸の具合を目で見て、少しずつ落ち着きを取り戻している事に気づく
(…私がいない間に…おそらく兼続様も白粉様もいらっしゃらない時間があったのでしょう…そこで何が起きたのか…どうしてあんなに悔しそうな顔をされていたのか…)
想像はつくが、それは事実では無い
どう聞き出そうか…そう考え出したところで、湖がぽつりと話し出したのだ
「三成くんは…湖のかかさま…どう見えるの…」
(白粉様のこと…)
「湖様を大切にされていると思いますよ」
(これは事実だ…白粉様は、湖様を一番に思われ守ってくださっている)
「…湖は…私は、かかさまが好き…大好き」
「…はい」
少し、また少し、間を空けて湖は話をした
「誰になんと言われても…湖のかかさまは、かかさまだけ。誰よりも安心できて、心地よくて、暖かくて…湖の大事なかかさま」
「ええ」
「…妖は、怖いものなの?」