第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「お、白粉殿」
「頬の傷、見てやってくれ」
兼続の方を一度向くと、いつも通りの表情でそう言い
おそらく湖がいるであろう方向へと進んでいくのだ
「俺…」
「喜之介…そなたは子どもだ。間違いはあって当然…あとでもう一度、謝れば良い」
「…はい」
(湖…湯殿の方か…この匂い…三成と一緒か)
「ん?白粉どうした?」
途中声を掛けてきたのは、信玄だ
信玄は白粉の着物についた墨が目に入ったのだ
その視線に気づき白粉は自分の袖口を見て、ふぅと息をついた
(自分で変化させたものではない…汚れは落とせんな…)
まだ不慣れではあるが、徐々に慣れてきている着物に苦笑しながら答える
「湖がな…少々悪さをしたようだ」
「湖が?」
信玄は歩みを止めない白粉と共に歩き出す
そして白粉の話を聞き
「お前の事を言われて腹がたったんだろうな」
「それにしても、手を上げるとはな…正直、驚いている」
「湖にだって我慢出来ることと出来ない事があるだろうさ。それにあの子はまだ九つだ」
「そうだな…ずいぶん、大きくなったと思うが…まだこどもだったな」
横を歩く白粉は、女中達に比べれば頭一つ背が高く身も細い
白髪は、銀色にも見え
歩けば、しゃらりと髪音がするようにも思えた
(お前も…)
「ずいぶんらしくなったな」
「…らしい?あぁ…母親役か…そうだな、そうありたいと思う」
「……」
(母親か…それは、この城で初めて会った時から変わらない印象だ。この妖は、当初から湖を我が子同様の眼差しで見ている……お前は、人らしくなってきているんだ…白粉)
ちゃぷん…
女中二人が湖の世話役として、湯浴みを手伝っていた
湖の様子に、女中達は慌てたが
三成が目配せすれば、彼女たちは一息ついていつも通りに接し出す
湯船に入れた湖の頬や手をゆっくりと撫でるように墨を落としていく
「ついた直後で良かったです。大丈夫ですよ、綺麗に落ちますよ」
湯の中でも涙の止まらない湖に、彼女たちは優しく言い聞かせた