第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
言葉が出なかった
(俺…なんて言った…?「お前の両親、あいつに喰われたんじゃないのか?」って…そう思った…口に出したか…っ)
誤りたかったのに自分が思ったこと、それを口に出した自分の酷さに声が出なかった
「あやまって!!」
びくっと身を固める喜之介
その声が、廊下に聞こえれば幸村がそこに現われた
(あいつら、またなんかやってるのか…)
はぁっと、ため息をつきながら
「おい、静かに勉強し……」
部屋を覗いて言葉を失う
文机は倒れ、墨が散って
喜之介は頬を赤くして呆然としているし、湖は着物をみだし墨をかぶっているのだ
「お前達…何やって…っ」
湖に駆け寄ると喜之介に尋ねようと彼をみる
だが、彼は顔を真っ青にして「ゆ、幸村様…」と言うだけなのだ
向き直って湖をみれば、しゃっくりをあげながら
「な、んでも…ない…っ」
と、幸村を見ずにそう言うのだ
「おい、ちびすけっ」
「…ちびじゃない、…なんでも、ないから!」
ぐいっと涙を拭けば、「墨がついたから着替えてくる」とそう言い部屋を出て行く湖
その湖を目線で追いながら、喜之介がようやく声を出した
「ご、っ…ごめん…!!」
「……幸…喜之介の、ほっぺ…おへや、も、やったの湖だから…」
ひっくと、しゃっくりを一つ飲込むと湖はそのまま歩いて行く
「湖、待て…っち……」
ぐいっと引かれる着物に舌打ちした幸村
だが、その手ははらわない
「俺…」
「おい、お前何やった…」
「俺、あいつに…ひどい事言った…」
走りたい
だが、こんな足で走れば転ぶだけだ
せめて悟られないように、ゆっくり毅然と姿勢を正したままで歩く
時折痛む太ももは、喜之介に蹴られたところだ
(かかさまは…湖の大事なかかさまだもん…)
ぐっと涙をこらえて前を見れば、人影が一つ見えた
(何を言われても関係ない…でも、でも…あれは酷いよ…喜之介の馬鹿…っ)
「湖様…湖様、どうされたんですか…これは…」
前にあった人影がいつの間にか間近まで来ていた
「な、ん…でも、ない…」
しゃっくりを飲込んで話せば、自分でもみっともないしゃべり方だと思うほどに言葉が途切れる