第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
白粉が戻ってから三日後、家康は湖用の薬を煎じ信玄に預けて帰って行った
帰りがけに
「あんたさ…政宗さんのこと。なんて呼んでるの…」
「政宗」
「…秀吉さんは」
「え?秀吉さんと、光秀さん。あと、三成くん」
「……」
「家康さま?」
馬の上から家康が湖に言う
「じゃあ、俺にも様は要らない…政宗さんが「政宗」なのに。俺が「様」をつけられるのも可笑しい…」
「え?」
「あと固っ苦しい言葉遣いも要らない」
「…えっと…」
「……」
「…家康…?」
ふっと綺麗な笑みが湖の目に入る
「…それでいい。じゃ、またね…湖」
「…っうん。またねっ家康」
「薬、助かった」
信玄と、信玄に抱えられた湖に見送られ家康は安土へ帰っていった
湖 半月目の事だった
「帰ったかー」
少し離れたところから幸村の声がした
「幸、そこにいるなら一緒に見送れば良かったのに」
「馬鹿いえ。ごめんだ」
「もう…どうして幸は家康様が嫌いなんだろうね?ととさま」
ははっと信玄が笑った
湖は家康が帰ったあとも、兼続との勉強の合間に薬草について佐助に聞き紙を綴り続けていた
家康の薬のおかげで、日々の痛みも治まってきて書庫へ行くくらいならゆっくり動けるようになった
馬に乗る自信はなく、時折庭先に連れてきてもらう馬に触れて可愛がった
以前のように走り回ることは、この九つになってからは一切ない
それになぜか城内の家臣達が寂しげな表情を見せるのだ
「あぁ…小さい湖様。つい最近の事なのに…」
「懐かしいと思ってしまうな」
「なぜか、ここ数ヶ月…自分がえらく老いた気がするぞ」
「湖様は、童から女子(おなご)になられましたね」
「もう大人の湖様と面影は変わらないわね」
「あぁ…でも、小さい湖様。可愛かったですね」
と、家臣も女中も顔を合わせればそんな話になる
「平和だな」
「…戦が無いなど…退屈なだけだと思ったが、湖を見ていれば退屈しないものだな」
「ははっ、お前もこどもにずいぶん慣れたようだな」
信玄と謙信が、庭先でコロと村正を撫でる湖を見て話す