第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
湖が礼を言うのは、帰りがけに買った書物の事だ
市の一角に、流しの商人が書籍や巻物を並べていた
立ち寄ると言ったのは信玄だ
湖は、本なら城の書庫にたくさんあるし、兼続が読める物をと選んでくれるので、欲しい本があるわではない
だが、信玄は捜し物があるようで商人に尋ねていた
商人は、少し難しい顔をしながら…
「そうだな…じゃあ、これなんかどうですか?」
開かれたのは…
墨で書かれた絵の数々
一本の巻物に、ずっと続くように景色が描かれたもの
別の巻物は、動物の絵が描かれている
そして最後は、短い巻物だが春の景色、桜の木が淡い桃色で描かれているのだ
「わぁ…」
湖の目はそれらを見ると、興味新進に見開かれるのだ
「気に入ったようだ。全部くれ」
「えっ、ととさま?」
「今日の一時をくれた姫に」
「え、え…だって、たのしい時間をもらったのは湖の方だよ」
「いいんだ」と言い、頭を撫でられると…
湖は、ぶわっと頬に赤みをさし
「ととさまっ大好き」
と、その首にしがみつき額に口づけをするのだ
一部始終見ていた商人は「お、おぉ?!」と湖の行動に驚く
それはそうだ
この時代、好いた中といえど隠れるように過ごしそんな大胆なまね外でするような輩はいない
「こらっ、湖…それは、外では止めなさい」
「嬉しいんだもん!ありがとう、ととさま」
信玄も注意をするが、湖はお構いなしだ
その笑みに、大人二人はつられて笑うだけだ
「かわいいお嬢さんだ」
商人は、巻物を包むと信玄に渡す
「良い物があって助かった。もしまた同じような物があれば、取っておいてくれるか?」
「解りました。私は、また来月のこの頃に市に出す予定でいますから、その時にでも」
「あぁ。頼む」
微笑ましい親子の姿に商人も気分が良く店を畳んだ
「姫が気に入ってくれて何よりだ」
「すっごくいい!湖、なんか贅沢で怖いくらい」
「…?」
なにがだ?
そんな信玄に湖は説明する
「だってね。謙信様が馬をくれて、兼続と幸村が乗り方教えてくれて。幸は、ちょっと大ざっぱで意地悪だけど、楽しいの!」