第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
信玄は、湖の欲しい言葉をくれる
(誰かになんか言われてもいい)
それでも、いちいち不安になる自分がいる
(妖でも、神様でも、湖のかかさまは、かかさまだもの…)
「でも…」
「でも?なんだ?」
信玄の目を見ると、湖は続けた
「…きっとまた頭の中、ぐちゃぐちゃになる。そうなったら、ととさま。もいっかい、言ってほしい」
「…大丈夫だ、何度でも」
「うん…ありがとう。湖…ととさまの事、大好きだよ」
「それは、光栄だな」
トントンと、背中を叩かれる
家康より大きな手で
叩かれるたびに「大丈夫、大丈夫」と言われているそんな気がするのだ
「さて…湖。いつまでもその格好でいられないだろ。手伝ってやるから着替えろ」
「うん」
(本当の両親な…)
信玄は、湖の言葉を思い出す
(誰の子か…)
湖にだって、本当の両親がいる
それは、佐助が説明していた500年後の世の先になるだろうが…
(佐助にしても、湖にしても…両親とも友人とも離ればなれになって、見知らぬ場所に連れてこられたんだからな)
こどもでなくても不安だろう そう信玄は思った
(更に、今の湖には記憶がない。余計に不安になるんだろうな)
「…ととさま」
「ん。なんだ?」
少し赤みのさす頬
「あのね…ととさまは?信玄さまは…湖のととさまでいいの?」
「……そうだな」
少し考えてから、湖に答える信玄
「湖が、大きくなって…その時に、「ととさま」でいて欲しいと望むなら、喜んで父親になろう」
「…っうん…ありがとう」
「それまでは、「ととさま」役な」
「うんっ」
満開の花のような笑み
九つの湖との約束だった
朝餉の時間
謙信と佐助はその場に間に合わず
信玄から、少し用で出ていると聞かされた湖
首を傾げはしたが、「わかった」と返事をし、しっかり箸を持った
幸村が湖を心配そうに見ていたが、当の本人はお構いなし
朝のあの出来事など心配なくお膳を空にすれば、すぐに家康に勉強を教えろとねだっているのだ
それに、ほっと胸をなで下ろした幸村
(湖の場合…)