第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「湖、悪かったな。不安にさせたか?」
そう言いながら、家康の側に居た湖を抱き上げる信玄
「ととさま、お出かけしてたの?」
「少し用があってな…悪いことをした。お前にも迷惑をかけたな」
家康を見れば、彼は「別に」と言い立ち上がる
「湖、朝餉のあとに薬を用意するから」
「うん。家康さま、ありがとうございます」
「…じゃ」
すっすと、絹音を立てて家康が去って行けば…先ほどまで湖が座って居た場所に、信玄は湖を抱えたまま座る
「さて…俺の姫は、何が不安で泣いてたのか…聞かせてくれるかい?」
「あ…えっと…」
「…湖」
ポンポンと、背中を軽く叩く
(ととさま…)
それだけなのに、気持ちが暖かくて 涙がにじむ
こぼれないうちに指でそれをさらって行かれ
「ん」と、信玄が笑み浮かべれば
おずおずと口を開き始める湖
「……あのね、」
湖が話し出した
白粉は、本当の母親ではない
信玄が、本当の父親ではない
そして、佐助も、本当の兄ではない
では、自分は誰の子で、どうして此処にいるのか
愛されているのはちゃんと解ってるのに、不安でどうしようも無くなるのだと
くわえて、今は白粉が不在だった
一時とはいえ、信玄もそこには居なかった
それが、更に不安を増長させたようだった
白粉と信玄に何かがあったのではないかと…
「そうか…俺が悪かったな。湖がぐっすり寝てると思って、少しだけ出たつもりが…心配するな、俺もかかさまも。湖が心配になるような事にはなっていない」
「…うん」
くすりと、信玄が笑うのが聞こえ湖は顔を上げた
「それにな…親子の縁は、血だけとは決まっていないだろう?」
「血?」
「そうだ。生まれは関係ないってことだ。湖が、今かかさまだと思えるのは誰なんだ」
「…白粉。湖のかかさまは白粉」
湖の目にはしっかりした意思がうかがえた
「妖が母では不安か?」
「っ。そんなことないよ!かかさまは、湖に一番大好きをくれるもの」
「じゃあ、不安に思うな」
「あ…」
「今、湖のかかさまは間違いなく白粉だ」
「…うん」