第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「あ、れ…」
それは、次から次へと止めどなく
「っ、…だめ…」
ひっくと、しゃっくりが出始めれば本格的に止まらなくなってくる
湖は、自分にかけてあった羽織を抱き寄せ声を抑えた
「湖、起きてるか?」
外から声がかかった
(起きてるよな?物音も聞こえたし…なんで返事がねぇんだ)
「おい…返事をしろ…入るぞ」
開けられた襖から日差しと共に幸村が入ってくる
みし…と畳を踏む音が湖の耳にも入った
顔を上げれば、潤む視界に入ったのは赤い着物
「っ、ゆ、き…ッ…」
「お、おい!なんで、泣いてるんだよ?!」
驚いた幸村は、湖の側に駆け寄るとその頭を撫でる
「何があった?!おい、湖」
いつも意地悪ばかり言う幸村が、自分を心配している
すがるように幸村の着物を持つと、湖は声を上げて泣きだした
こんなに湖が泣くのは、あの喜之介以来だ
こどもの泣き声は、よく通る
湖が来てから笑い声がよく響いた城に、突然聞こえた泣き声
近くにいた女中は驚き様子を見に来、家臣もかけつける
「おい、湖。こら、泣き止め。一体どうしたんだ?怖い夢でもみたのか?えっと…あ。信玄様か?!信玄様は、少し前に急な呼び出しがあってだな…」
しどろもどろの幸村は、頭を撫でるだけで精一杯だ
だが、増えていく見物客
「あーーー、くそっ」
(こんな時に限って、なんで俺しか居ないんだよ!)
反対の手で、がしがし頭をかけば
側に感じられた気配
「湖」
それは…
「徳川 家康…」
泣き止まない童に対して、幸村と家康
この二人がこの部屋にいる
「湖、おいで」
そう家康が両手を差し出せば、湖は幸村の着物から手を離し家康の手にすがりついた
家康はそれを受け取ると、湖の身体を引き寄せて抱き上げる
そして、片手で身体を持ち上げ背中をトントンとあやすのだ
「…少し落ち着いて」
「うっ…ひっく…」
しばらくそうしていれば、湖の声も収まってくる