第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「…貴様、なぜ着いてくる」
夕日の山道
野山に入り、もうすぐ秀吉との合流地点
そんな時、信長の真上に大きな影がかかった
気配の感じないそれに、信長は馬を止める
ぶるるっと息を吐き、土を蹴る馬
その横にふわりと…まるで羽のように降りてきたそれ
馬より大きく、触れば柔らかいだろう白く輝く毛並み
額の桜文様が浮き出るように存在感をあらわにし、
信長を見る瞳は、夕日に照らされ黄金に見える
「…貴様、なぜ着いてくる」
『いつから気づいていた…?』
信長はそれには答えないまま、白粉の返答を待っている
『…お前は、湖の主人で私の恩人でもある…直接、詫びを言っていなかったと思ってな』
驚くかと思った馬は、何事もないように静かだ
『謙信に勝手を許されてはいないんでな…こんなところで、すまない』
「…それは、あれを連れ出した事についてか」
『悪かった』
「構わん。湖が今も息災ならばそれでいい」
この姿を見たのは、以前登竜桜と白粉が対峙した時だけだ
「…この姿は みごとだな」
すっと手を伸ばし白粉の毛並みを撫でれば
白粉は驚いたように少し距離を取る
「別に取って食いはせん」
それに何事も無かったように信長が答えると、こう付け足す
「すまないと思うならば、湖を守れ。あれに降りかかる災いがあればすべて貴様が払いのけろ」
『…言われずともそうする』
「ならば、良し」
ふっと口角を上げた信長
『湖に…触れないのはなぜだ?』
「あの童は俺のものでは無いからな…いずれ、取り戻すまでの楽しみのようなものだ」
ふぅっと、白粉が信長の行く道の先に向かって息を吐く
すると、淡い光が転々と現われた
日が沈み暗くなった山道を照らす光
『足止めをした詫びだ』
「面白い力だな…他にも見てみたいものだ」
くくっと笑った信長は馬を走らせる
それをしばらく見送った白粉は疲れたように息を吐くと、猫の姿に戻り引き返した