第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「お前も帰ってもかまわんぞ」
信玄が家康に笑いながら言えば…
「湖のそれ、俺の煎じた薬を飲めば収まるけど…」
と、信玄を見ずに答える
「俺だってこんなところに居たくは無い…でも、それをそのままにしておくことは、できないでしょ…」
そして独り言のようにため息交じりでそう言うのだ
(…そうか…この男は…)
家康は幼少期、人質として数々の家に置かれた
決していい思いはしていないのだ
「治るのか」
「治りはしないけど、痛みを取り除くことは可能。でも、薬の取り過ぎは良くないから、痛みが酷くなる夕刻から就寝までにした方がいいだろうけど」
ぶっきらぼうな物言い
だが、湖の事を考えて言っているのはよく解る
「兼続」
「はっ。徳川殿は、某の御所で寝泊まりを…それから城では…」
兼続が家康に説明を始めた
それをちらりと見てから謙信が白粉に声をかけた
「治療をする…いいな?」
「構わない。少しでも苦痛をとれるならな…なんで私の許可を取る?」
「お前は、母親なのだろう。湖(娘)の事について了承を取る必要があるだろう」
白粉の疑問に、なにだが?とばかりに答えた謙信
その答えに白粉は目を見開くのだ
それは、幸村と佐助も同様で
ただ一人、謙信の変化に気づいていた信玄だけが湖の頭を撫でながら苦笑する
「ととさま?」
「いや。何でも無い…湖は、愛されてるな…と思ってな」
(愛されている…そうだ、私はかかさまの大好き、よく知ってる…いつも私を心配して、抱きしめて、笑ってくれてる)
「愛…うん。愛されてて、すごく嬉しい」
湖の中の小さな疑問
口にはしない、まだ確定しない、だけどそれは着実に大きくなり始めていた
「出来たのか」
心いずこだった自分を引き戻すように呼ぶ望みは謙信だ
「うん。謙信さまから頂いた反物。さっき、仕立屋さんが届けてくれたの。嬉しくて、着替えてきちゃった。似合ってるかな?」
「あぁ…よく似合う」
「ありがとー」と謙信に抱きつく湖
その湖を抱えて穏やかな表情を見せる謙信、それに信玄たち
(…こういう感情をなんというんだろうな…)
視界に映る幸せそうな絵を、家康はちらりと見ていた