第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
「湖様」
「兼続だって言ったじゃない。喜之介と一緒に勉強するって」
にっと笑う顔は、童そのもの
身丈に似合わない表情だ
それに兼続も返事を濁らせる「は、はぁ…」と渋々に
(確かにそう言いましたが…この湖様を喜之介に会わせるには気が引けまする…)
同い年の異性になる喜之介
勉強の事だけを思えば、お互い良い刺激になると思った
それは確かだ
だが、予想していた以上の大人びた姿をした湖に、兼続は喜之介を合わせることに躊躇し始めていたのだ
「…身体も不調なことでございますし…この一月は、勉強を中断してもよろしいかと…」
「兼続が、そんなこと言うなんて…なんか、すごく怖いんだけど…」
そんな兼続の考えなど知るよしもなく、湖は眉をひそめる
「湖、此処に居たか…」
開け放たれたままの襖から姿を見せたのは謙信だ
謙信はまだ寝衣のままの信玄に視線を移し
「信玄、今まで寝ていたのか?」
と怪訝な表情で信玄を見た
確かに寝衣のままだ
庭先で湖の髪を切る前に着替えるべきだったか
信玄は、ちょっと待っていろと腰を上げると、のそりと更に奥の部屋に向かって歩く
「湖…髪を切ったのか?」
「うん。ちょっと長すぎると思って、さっきね、ととさまに切ってもらったの」
「そうか」
ふっと口元が緩むと、湖を抱き上げようと手を伸ばした
だが、その手で湖を抱き上げる前
一瞬、動作を止め白粉の方を向く謙信
「少し連れ出すが、いいか?」
「…?構わないが…?」
白粉の許可を取り、ようやく湖に手をかけ抱き上げた
その違和感に白粉の眉間に皺が寄るのだ
(なんだ…?)
それは、兼続と幸村と同じようで、驚きの表情を見せているのだ
そこに着替え終わった信玄が来ると
「なんだ?どうした?」
と二人の顔を見て尋ねた
「今日は少し遠出をするが…来るか?」
「湖を連れてか?そうだな…いや、俺は遠慮しよう。用があってな」
「そうか。兼続、夕刻には戻る…佐助」
どこから現われたのか、庭先にいる佐助に謙信は「行くぞ」と言い湖を抱いたまま廊下を歩き出すのだ
「と、殿。どちらへ??」
「越後縮の視察に行く」