第25章 桜の咲く頃 二幕(六歳)
少し躊躇するも、体制を変えられ仰向けになれば傷に口づけすることが出来なくなると判断した湖
そっと、爪を立てないように両足を背中に置けば、寝衣越しに処置されている感触がする
そこから一本見える細い霧の出所に鼻先をつけるように口づけをした
(きものの上から…ぜんぶ なおさない…ふかいきずだけ、いたくないように…おねがい)
そう思いながら、光秀の身体から顔を離す
光秀の身体は、呼吸で上下している
先ほどと変らない
どうやら気づかれずに済んだようだった
黒い靄は、うっすら色灰色になり肩から細く出て揺れていた
傷がどうなったか、猫の姿では確認出来ない
だが、薄くなった色に湖はほっと息をつくと部屋を出ようとした
その時、ふと目に入ったのは…
(あれ…)
光秀の身体越しに見えたのは刀を置く場所に、納められていた鉄砲だ
月明かりが無ければ、こんなに目立つことも無く湖は足を止めずに部屋を出ただろう
だが、今夜の月は明るく部屋を照らしていた
春日山城で、これを愛用する人物はいない
湖は興味本位でそれに近づき、くんくんと匂いを嗅ぐ仕草を見せた
(鈴のからだより、おおきい…それに、おもそう)
持ち手の部分は愛用されているのか、しっかり磨かれているが握られる部分の色が他の部分と異なった
先端に回ってその穴を覗き見ようとした時…
「近づくな」
全身の毛が逆立った
声の主は解る
(っ…)
ぱっと振り返れば、見えたのは目を閉じる光秀の顔
(…ねごと…?ねてるよね、いけない、かえらなきゃっ)
湖は、鉄砲から気が逸れ急いで部屋の外へと駆けだしていく
(っびっくりした…、あ…そうだ。はやく、つぎのところにいかなきゃ…)
見回りに見つからないように、煤猫が走って行くのを黙って見ていた人物がいた
「ほんと…面白い娘だ…」
起き上がった肩に痛みは全く感じない
巻かれていた布を外し、背中…肩の部分に手を当てる
その指に血は一切つかない、痛みもない
触感だけで感じる限り、そこは古傷のような痕だけなのだ
「母猫がおかしな薬を盛ってきたと警戒していたが…子猫の仕業を隠すつもりだったのか…詰めが甘い」
白粉が持ってきた薬を、光秀はわざと白粉の目の前で飲む仕草を見せた
だが実際は、そう見せかけただけだ