第25章 桜の咲く頃 二幕(六歳)
「湖…」
「はい、ととさま」
はぁーと、わざとらしい程大きなため息をついた信玄は…
「いいか、今のは誰にも言うな」
「…?今の?おまじないのこと?」
「そうだ」
湖の柔らかい唇に指を押しつけた信玄は、こう続ける
「今のおまじないは、おまじないじゃない。「口づけ」と言うんだ」
「くちづけ?」
「そうだ。将来…湖がもっと大きくなって、好きな男が出来た時に愛を伝え合うための行為だ」
「んんーー…おはなし、むずかしいよー」
「将来」だの「愛」だの「行為」だの…六歳児にはすんなり入る言葉ではない
「いいか…唇は特別な相手とだけだ」
「とくべつって…かかさまとか?」
「…そうじゃない。湖が、好きな人が出来た時の為の場所なんだ」
首を傾げながらも、信玄の言葉をどうにか聞こうとする湖は…
「「ちゅう」は、お口はだめってこと?お口いがいは「おまじない」いいの?」
(子どもにこんな事を教えるのは、まだまだ先だと思っていたが…湖は、また一月後に三つも年を取るんだ。次は…九つ…少しずつでも教えていく必要があるか…)
「そうだ。唇だめだ」
「…でも、湖…ととさま、とくべつに大好きよ?」
(難しいな…育児に関して情報が欲しいくらいだ)
自分の思考に笑いがこみ上げてくる信玄
その口元が緩んだ事に気づいた湖は…
「湖のおまじないきいた?ととさま、元気になった!」
と、喜び始めてしまう
「確かに…とびっきりの「おまじない」だったな」
つられて信玄も笑ってしまうのだ
信玄は、湖を抱き上げるとその額に触れるだけの口づけを落とした
「おでこ!」
「そうだ、おでこ。元気が無いときにはここが一番効く」
「そっか、おでこね。わかった!」
こう言い聞かせておけば、唇を狙っては来ないだろうと誘導する信玄
だが、すぐにこの事で頭を悩ますことになるとは思っていないなかった
子どもの行動は、自由で無邪気で無敵なのだ