第25章 桜の咲く頃 二幕(六歳)
信玄はそれを他人には決して見せない
どんなに体が悲鳴を上げても今までそう振る舞ってきた
幸村ですら、気づかない時が多い
なのに、この小さな湖はそれを見破るのだ
信玄の方を見て、眉をしかめると苦しそうな表情をし駆け寄ってくる
信玄にしがみついて離れようとしなくなる
そして、決まって人気の無い場所で「ととさま、調子悪い?」と聞いてくるのだ
(何を見て勘付くのか…子どもは恐ろしいな)
だが、信玄は決まって「なんのことだ?」と話をはぐらかすのだ
それしか出来ない
認めてしまえば…それは湖では留まらなくなる
何のために、病死という噂まで立てたのか…
その意味が無くなってしまうからだ
「湖」
「なぁに?」
歩いていた廊下に人の気配はない
信玄は、ゆっくりと湖と同じ目線まで腰を下ろした
そして繋いでいる小さな手をゆっくり自分の口元まで運んでくると手の甲に「ちゅっ」と軽い音を立てて口づけを落とす
「っ…」
その行為に、湖の頬は桃色に染まるのだ
小さな手をそのままに顔をあげた信玄は、湖を下から覗くような目線で微笑む
「これは、姫への謝罪と痛くなくなるおまじないだ」
「おまじない?」
「そうだ。さっき痛かったんだろう?ここ」
湖の片手を取っているのとは逆手の親指で、手の甲を軽くさする
童の柔らかな肌の感触が信玄の指に伝わる
「悪かった…少し赤くなったか…」
小さな手には、すぐ消えるだろうがうっすら赤みが差しているのだ
(湖のおまもりといっしょ…「ちゅぅ」すると、みんなおけがなおるんだ。おまじないっていうんだ…おまもりは、桜さまのとくべつじゃないんだ…)
「…じゃあ湖もおまじない!」
「ん…?なん…」
ちゅっ
「だ……」
それは、本当に一瞬のこと
信玄の唇に、柔らかい物が触れただけ
「えへへ。ととさまが元気になるおまじない!」
「…それは…まずいだろ…」
「え…?ととさま??」
口の元を片手で覆った信玄の顔色が変る
その額に手を伸ばせば、少しだけ熱を持っているように感じるのだ
「おねつ?おかぜ?」
幼子は、今の行為になんの疑問も抱かない
きょとんと自分を見つめているのだ