第25章 桜の咲く頃 二幕(六歳)
(…そうだな…そうか…あの湖は今は居ない。今は、童なんだな…)
「…よし。湖。俺はしばらく此処に滞在することになった。その間は、毎日うまいもんを食わせてやるからな。たくさん食って少し肉をつけろ」
「たいざい…?まさむね、ここにいるの?」
「そうだ。数日だがな」
それには信玄が眉をしかめる
「なんだと?」
「同盟の仲だ。構わないだろう?」
「…ここは謙信の城だ…俺の許可は不要だ」
信玄をまとっている空気が変る
先ほどまでの柔らかいものではないのだ
「…湖、悪いが俺は少し用ができた。側を離れるが…すぐに佐助を呼んできてやる」
「え…ととさま?」
くいっと自分の着物をひく湖は、不安そうな顔をしていた
信玄は、はっと気づき「…悪い」と顔をそらしたのだ
「…まさむね、ごめんね。湖も、ととさまといってもいい?」
「…構わない。あとでまた会えるか?」
「うん。おしろにいるんでしょ?またあとでね」
信玄の大きな指に自分の指を絡めた湖は、その手をきゅうっと握るのだ
信玄は、はぁっとため息を零すと…
「悪いな」
といい、湖を連れて城へ上がっていった
(なんだ…滞在すると言った途端だったな…)
信玄と湖の後ろ姿をしばらく見守っていた政宗
湖が居ないのならうろつく意味もないと、先ほどの部屋へ引き返すのだった
(…同盟は致し方ないが…安土の武将が此処に滞在するのは予定外だ…この体のことは、誰にも気づかれるわけにはいかない…)
無意識に湖と繋ぐ手に力が入る
「っ…、と、ととさまっいたいっ」
小さな声が下から聞こえ、はっと気づいた信玄は湖と目が合った
心配そうに自分を見る幼子
勘の良い子どもは、何かに気づいているんだろう
だが、確定させるわけにはいかないと信玄は表情を作る
「悪い、湖。少し考え事してた。手、見せてみろ…赤くなってないか?」
「…ととさま…調子悪い?」
ぴくりと信玄の耳が動く
(この娘は…本当に…)
この一月、湖は信玄の体調が悪くなるとすぐにそう言ってきていた