第28章 桜の咲く頃 四幕(十二歳)
「さ、桜さま?かかさまっ」
慌てた様子で、敷布の外に立つ二人の背に声をかければ
『もう一度言う。湖、なにがあっても動くな』
白粉は、振り向かずにそう言った
(かかさま…警戒してる…あれ、やっぱり嫌な物なんだ…)
「か、かさま…」
完全に振り向かないが、大きな妖は少しだけ顔を横に向けて湖に言うのだ
(大丈夫だ。何があっても、母が守ってやる)
そう小さく言った
優しい笑みを浮かべるような口元で
ぴりっと、一層空気がまるで温度が下がったように変化する
六人の居る敷布と二人の妖の間に空気の壁
見えない壁のような物が出来たのだ
確かにあちらは見えるのに、見え方が違う
佐助にはそれが、水槽の壁のようにも見えた
『クレ…モット…ク、レ…』
黒い靄が、ぼとりと何かを落とした
「っひ…」
湖が小さくあげた悲鳴に、佐助の腕の力が強まる
人の片腕のように見えたそれは、真っ黒だった
だが、ぴくりぴくりと指先が動くのだ
(あれが、神落ち…形のない影…人なのか、それとも人を食ったのか…?)
佐助は湖を抱える腕への意識が途切れないようにしながら、その様子を伺っていた
無言の登竜桜は、神落ちが落とした片腕の方に手を掲げた
すると、ふらりと桃色の花びらが舞うと灰色の煙を上げてそれは消えてしまう
『お前には、儂の力を分けてやった。がむしゃらに吸いよって…儂にはもう分けられるものは無いぞ。今すぐ去れ』
登竜桜が、ため息交じりにそう答える
『ヤダ…クレ…足リ、ナイ』
黒い靄は、ある程度の距離で止まった
白粉のうなり声が場に響く
『…同じ神だった者同士…助けは出した。だが、約束を違えるとはどういうわけだ…もう思考すらできないのか…』
『ヤクソク、シタ…デモ、クレ…イマ、イマ、イマ…』
靄がゆらゆらと揺れ出す
『おかか様…』
重心を低くし、今にも飛びかかりそうな白粉の背を登竜桜が宥める
『……待て。相手はあれでも神だ。今のお前ではどうにも出来ん…白粉、落ち着け』
『……ロ、イ…オシ、ロイ……』
黒い靄が一層大きく揺れると、登竜桜は目を見開く
それは、白粉も一緒だった
警戒は怠らない
だが、うなり声が消えたのだ