第26章 桜の咲く頃 三幕(九歳)
見られた湖は、諦めたように
謙信の胡座から出ると、その場で着替え始めた
するりと、下ろされた羽織は湖の白い肌を外に晒す
傷一つ無かった身体に、不釣り合いな青あざ
眉をしかめる大人には気付くこともなく着替えていく湖は、最後に
「ととさま。帯やって」
とねだってきた
「あぁ」
兵児帯のように柔らかい帯を縛ってやると、湖はそのまま信玄の膝に座った
「…ととさまと、謙信さまは…湖のこと、面倒くさくない?」
「どんなに面倒でも湖は湖だからな」
「う…やっぱり面倒なんだ」
ははっと笑う信玄は、湖の頭を撫でながら
「あぁ。厄介で面倒で…可愛いな」
と、その髪を一房すくい取って口づけをした
頬を膨らますも、そんな信玄の様子に湖も小さく笑みをこぼす
「そうだな…お前は自分に対して卑屈すぎる。他者を気にせずにもっと気楽に過ごせ」
謙信は、そんな様子を見ながらそう声を掛けた
「ひくつ?」
「必要以上に自分をいましめ…落とし、考える事だ」
信玄が意味を教えてくれれば、少しだけ考える様子を見せる湖
「…それは、土地神が治すんだろう。すぐに消えるものだ。鈴の事は、お前がそんな意識では鈴はどう思うだろうな…」
「鈴はどう思うのか?」あ…と声を出した湖は、頬を染めた
「鈴は…もっと嫌な思いをすると思う…」
「そうさせたいのか?」
「違う…鈴は、湖の大事な…大切な家族だもの」
自分の胸に手を当ててそこを押さえる湖の表情は、大人の湖がよく見せていた穏やかなものだった
「……それでいい」
特に湖は、何をいう訳では無い
だが、その表情で何を感じ取ったのかは解る
「うん…わかった…謙信さま、ととさま、ありがとう」
兼続の足音と共に、一日が始まった
「ねえ、ととさま。誰かといると、ドキドキするのってなにかな?」
「……湖、それ誰だか教えないさい」
その日は、特にすることも無くのんびりと時間が過ぎていた