第9章 あとは、沈黙。
「そうかな?君はもう少し自分を知った方が良い、常守監視官。」
皮肉そうに笑った綾を待っていたのは、犯罪係数が全く上がらなかったと言う現実。
その部屋はどこか古風で言うなれば排他的だった。槙島聖護と言う男は、どうにもこの世界が嫌いらしい。電子書籍が溢れているこの時代で、ハードカバーの古書を愛しているし、食べ物だってハイパーオーツを嫌っていた。
綾はベランダに綺麗に実ったトマトをぷちんと一つ毟った。
「――美味しそう。」
たわわに実った赤い実に思わず吸い寄せられるように、綾はそれを口に含んだ。
ぶちゅっと綺麗ではない音が世界を染めて行く。喉に流れ込んでいくその実は甘酸っぱくて綾は満足そうにそれを飲み干した。
その時、マナーモードにしていたデバイスが着信を告げる。
「――はい?」
『あぁ、綾?ごめんね、連絡出来なくて。』
着信の相手は、当たり前と言えば当たり前だが槙島だった。
「いつ帰るの?トマト、全部食べちゃうから。」
『今日か明日には帰るよ。オモチャも壊れた事だしね。』
その言い方に、綾は事の顛末を悟る。
「――そうやって聖護は最後に何が欲しいの?」
その問いに、槙島は何も答えない。
僅かな沈黙が続いて、槙島は言葉を発した。
『――次は綾も一緒に行くかい?』
「誰に狙いをつけたの?」
既に彼の中では次の構想が動いているらしい。近くにあった『タイタス・アンドロニカス』の本を尻目に綾は立ち上がった。
『――公安局のおそらくは執行官。『コウガミ』と言う男を知っているかな?』
その名前に、綾は息を呑む。
あなたの事なんてわかりたくもないと言った綺麗な君をそのまま保存したかった
『――綾?』
黙ってしまった綾を訝しむように、槙島は名前を呼ぶ。
「知っている、と言ったらどうするの?」
試すように聞こえただろうか。けれども動揺を隠すにはその台詞しか思いつかなかった。綾の動揺を知ってか知らずか、槙島は楽しそうに答えた。
『いや――。別にどうもしない。元・公安局の君が知っていても何の不思議もないからね。あぁ、綾。僕がパスカルを引用したら彼はどうするだろう?』