第8章 紫蘭の花言葉
「最近来れなくてごめんなさいね。少し忙しくて。瞳子ちゃん、今日で19歳になったのよね?」
そう言って綾は、瞳子の長い黒髪に蝶のピンをつけてやる。
「大したものじゃないけど。――私と佐々山くんからのプレゼントよ。」
「――ささ、やま?」
その名前に、瞳子はピクリと反応する。
それに気付いた綾は、哀しそうに笑った。
あなたという怪物
「――起きなくて良いわ。怖いものから全て目を背けて、幸せな夢に生きなさい。」
まるで幼子を言い聞かせるように綾が言えば、瞳子は再び虚ろな目で宙を見つめた。
桐野瞳子は3年前の標本事件の唯一の生存者で、そして被害者だった。
父親であるアベーレ・アルトロマージも殺害され、天涯孤独の身となった瞳子はこの施設に収容された。僅か16歳の少女の心を抉るには余りにも悲惨だった事件を、綾は時折思い出す。槙島の計らいで、瞳子の姉と言う架空の人物を作り上げ綾は今でもたまに瞳子のお見舞いに訪れていた。
「――また来るわね、瞳子ちゃん。」
そっと頭を撫でてから、綾は病室を後にした。
途中で擦れ違った桜霜学園の生徒に、綾は一瞬だけ視線を寄越すがそのまま歩き出す。
――それが王陵璃華子だと今の綾には知る由も無かった。