第18章 硫黄降る街
――そして、はじまりへ。
「わたしの運命の人が貴方だったら良かったのにね。ううん、冗談よ?」
「――ディック、読んだことないなァ。最初に1冊読むなら何が良いでしょう?」
優雅にマドレーヌを紅茶に漬けて、槙島は咀嚼していた。
「――『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』」
その声に、泉は目を覚ました。
「――随分古い映画の原作を薦めるのね?」
そう言って泉が起き上がれば、槙島は乱れた髪を直してやる。
「おや、起こしてしまったかな。ごめんね。」
「大丈夫です。――紅茶、頂いても?」
「あぁ。構わないよ。」
そう言えば、泉は槙島が半分飲んだ紅茶に口を付ける。
「――話が反れたが、だいぶ映画とは内容が違う。いつか暇な時に比較してみると良い。」
「ダウンロードしておきます。」
「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない。」
「そう言うモンですかねぇ?」
チェ・グソンの言葉に答えたのは、槙島ではなく泉だった。
「本はただ文字を読む為のものじゃなく、自分の感覚を調整するツールである。――でしたっけ?」
楽しそうに泉が問えば、槙島は頷いた。
「――調整?」
「調子の悪い時に本の内容が頭に入って来ない事がある。そう言う時は何が読書の邪魔をしているのか考える。調子が悪い時でもスラスラと内容が入って来る本もある。何故そうなのか考える。精神的な調律、チューニングみたいなものかな。調律する際、大事なのは紙に指で触れている感覚や本をペラペラ捲った時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。」
「――なんだか凹むなァ。」
「ん?」
チェ・グソンの言葉に、不思議そうに槙島は泉と顔を見合わせる。
「あなた方と話していると俺の今までの人生、ずっと損をしてたような気分になる。」
「考えすぎだね。」
「――ですかね?」
「そろそろ時間だ。」
チラリと槙島が振り返れば、泉は頷いた。
「行きますか。」
その言葉に、泉も立ち上がる。
「――どうでも良いんだけどさ。」
「はい?」
「凄腕のハッカーがギブスン好きってのは、出来すぎだな。」
「ふふ。そうね。」
槙島の言葉に同意するように、泉も笑った。